頭の中の声。
思考の声。
〇〇が欲しいな。。。。。そんなの買ってどうするの?
〇〇したいな。。。。。そんなことしてどうするの?
何もしたくないな。。。。。あなたがしなかったら誰がするの?
もう疲れたなあ。。。。。まだすることあるでしょ?
甘えたいなあ。。。。。そんなの負けるみたい
頼りたいなあ。。。。。弱音吐いたら負け
と、まあ色々なパターンで心で思ったことを思考が被せてきますね。
私が自分の頭の中の声に、驚愕した話をしたいと思います。
連日ブログに登場した愛犬ブルが亡くなった時のことを。
ブルが息を引き取った時、それまでの涙より勢いが増し、大粒の涙が次から次へと流れ、声にならない声が口から出てくる。分かってはいても溢れる悲しみ。
そんな状態で聞こえた頭の中の声は、
「うわ、そんなに泣くの?」
「そんなに泣くって弱いんじゃない?」
「ないわーそんなに泣くの」
一瞬、涙が止まったし引きました。
頭の中の声とは分かっていても、自分の中にしかない声だと知っていても、
この時は自分から完全に分離している存在のように感じました。
いつもいつも、ブレーキを踏むのは頭の中の声。
そしてジャッジするのも頭の中の声。
自分が自分を守るため、失敗しないように。
危険から身を守るための機能であり本能。
母が亡くなる少し前に、私の家族とお見舞いに行ったとき、
「母を抱きしめたい!」と思ったんですね。
胸のあたりから引っ張られるような感覚で。
でも、すぐに思考が働きます。
「そんなことしたら、母の余命が短いことを母が知ってしまう」
「泣いてしまうから、母の余命が短いことを母が知ってしまう」
「子供の前で泣いてはいけない」
そして抱きしめることなくお別れしました。
めちゃくちゃ厳しいし口うるさいんですよね。
過干渉で過保護で常に見張って口だしされてるような。
自分だけの物差しなのに、周りの人もそうなはずって思いこんだり。
自分を縛ることに忙しい。
抵抗したこともありますが、逆効果なので諦めました。
イライラが募るばかりで(笑)
ただただ見る。気づく。
これを繰り返す。
そういう風に考えてるんだーと気づく。
気づくと止まれる。
止まれたら、選べる。
止まれたら、疑える。それ本当?
止まれたら、聞ける。どうしたい?どうする?
地道な作業ですね(笑)
すぐ脱線したり、のみこまれたり。
時には、「うるせー!」と勢いと勇気でそれまでと逆を選択したり。
そんな感じで過ごしております。
えーと、まとまりませんが終わります(笑)
読んでいただき、ありがとうございました(/・ω・)/