こんにちは、カウンセラーの春香です。
日曜日の午後、皆さんどう過ごされていますか?
私は子供の送迎を夫にお願いして、お弟子さん制度の宿題ケーススタディに取り組んでいます。
このケーススタディ、クライアントさんが現状(恋愛・夫婦・子育て・仕事・不倫・依存・親子関係等)をどうにかしたくて相談にやってくる設定なんですが、現状がどうしてこうなっているのかを知るために、子供時代に抑圧した感情を掘り起こしていくんですね。
どのケースを見ても「私」が居るので、毎回唸るし考えさせられてチーン。。。
私が子供時代抑圧したり蓋をしながら自分を責めていた出来事。
今回の私の亜急性甲状腺炎で服用しているプレドニンと関係があります。
私が小学校3年か4年の時、母が交通事故に遭いました。
夜中店を閉めた後、母はお客さんたちと一緒に食事に行った帰りに、信号無視・飲酒運転の男性の車に轢かれました。家のすぐ傍の交差点で。
キキーキキーーーーードンッというかなりの音に私は目が覚め、三階にある自宅の階下から父の名を叫ぶ声が聞こえる。(後から聞いた話では、母と一緒にいたお客さんも事故に遭い、動かない下半身を引きずり這いながら、私たちの家の前まで来たそうです。)
階下から聞こえる叫び声は、父の名と母の名を呼んでいました。
母は車のフロントガラスに頭から突き刺さっていた状態だったそうです。
父は飛び起き、慌てて三階から飛び降りて行きました。その当時、私が完成間近だった1000ピースのパズルを、父が蹴り飛ばしてパズルが崩れる音を覚えています。
何が起きたか分からないまま暗闇の子供部屋で布団にくるまりながら、ウトウトし始めた夜明け頃、同じ市内に住んでいた父方の祖母が、子供部屋にスーッと現れたのを見て何か起きたことを感じながら眠りにつきました。
翌朝、母が事故に遭ったことを聞き病院に行きましたが、怖かった。
病室に入りカーテンを開け母と対面するも、どうしていいか分からなかった。
頭に包帯を巻かれ、顔も体も痣だらけで痛々しい母。
母は私と兄を見て、笑顔で私たちを呼び何かしら声掛けをしてくれていたけど、私はその時自分がどう対応したか全く覚えていません。話しかけてくれる母の髪に、小さなガラスの破片がいっぱいくっついていて、それが綺麗なのが痛々しくて悲しかったのを覚えています。
この事故をきっかけに、母は1つ目の難病を発症します。
そこで登場するのがプレドニン。服用する量も多かったので、その副作用もハッキリと
目に見える形で現れます。『ムーンフェイス』と言われ、顔がお月様のように真ん丸になり、お腹周りに脂肪が付きます。難病の症状としては筋力の低下が著しく、四肢がやせ細っていきました。
綺麗だった母が変わっていくのが悲しかったし嫌だった。
外見が変わっていく母を見るのが辛かったし、そんなこと思う自分が何より嫌だったし、悪い人間だと思ったんです。
私が成長するにつれ母は弱音や愚痴を言うようになり、
「鏡を見るのが辛い」「人に会いたくない」「外に出たくない」などの言葉を聞きながら、「見た目が変わってもお母さんはお母さんやろ。」「お母さんが薬の副作用があっても、誰かとの関係変わった?変わってないよね?大丈夫。」と励ましながら、本当は私が辛いことを隠して、そんなこと感じる自分を責め、罪悪感満載の10代後半。
感じたくなくて平気なふりして過ごした20代。
そして30代。
母の病気は次から次へと増え、症状も副作用も長い付き合いで慣れてきたように感じながらも罪悪感は消えないままでした。罪悪感の内容は色々です(;^ω^)
末っ子次男がお喋りできるようになった頃の里帰り中、母に向かって放った次男の言葉。
「おばあちゃんの顔こわーい!」「なんかこわーい!」「キャーこわいー!」
母に近づいては顔が怖いと言い、笑いながら逃げるを繰り返す次男。
母の反応は。。。。爆笑していました(≧▽≦)
無邪気な次男と、病気と長年付き合ってきた母との間には、笑いが起きていました。
言っても大丈夫だったかもしれなかったな
言えばよかったな
でも悲しませたくなくて言えなかったな
それだけ母が大切だったんだな
私が感じたものを否定してごめんね、責めてごめんね
悲しかったし嫌だったし苦しかったね
私も母になり、私が親に対して出来なかったことを子供たちは意外と簡単そうにするので、怒りが湧いたり目が点になったり、放心状態になったり、羨ましくなったり、私もすればよかったー!と悔しくなったり、私とは全く違う人間なんだなと気づくことが出来たり。。。子供を通して追体験できたように感じる時は、胸の真ん中あたりが温かくなります。
さて、どう締めましょうか(笑)
明日からまた1週間、頑張りましょうか(笑)
私は木曜までにケーススタディ仕上げるの頑張ります。押忍。
お読みいただき、ありがとうございました(@^^)/~~~