生きづらさを愛おしさへ

聴く専門家・春香のブログ

義父さんの初盆

こんにちは、カウンセラーの春香です。

今週はぼちぼち仕事も忙しく、その分体のケアに力を入れていたらブログが遠のくという言い訳から入ります。(*'ω'*) お元気ですか?

 

さて、気が付けばお盆ですね。

義父さんの初盆でした。今年の2月に亡くなった義父さん。

えっ⁉今年やったっけ⁉と夫と顔を見合わすほど、昔のように感じます。

義父さんと義母さんは離婚していて、夫は義母さんに、義兄二人は義父さんに育てられました。(途中で義兄の一人は義母さんのところに移ったそうです)

で、義父さんの遺骨や仏壇はどこにあるのかというと、我が家にあります。

数年前に義父さんが医師から「もう一人暮らしは無理ですよ」と言われたとき、義父さんは我が家に来たいと言ったんですね。小さい頃に別れた息子(夫)と嫁と孫が居るからと。でもね、義父さんのその願いを叶えてあげられませんでした。

義父さんが亡くなり、四十九日予定日を見ると夫と私の誕生日の1日前だったので、

夫は「合わせに来たな」と言い、私は「惜しいな~義父さん」という感じでしたが。。。。家族の予定に合わせた結果、夫と私の誕生日になりまして。。。

 

 

お墓や仏壇どうしようと悩む義兄さんに、

「仏壇を我が家に置いても大丈夫ですよ。ただ、こうしてほしいという希望通りの対応は出来ません。それでも良いのなら、よござんす。」と伝えたら、ホッとした顔で

「好きにしてもらって大丈夫。」との返答でした。

リビングに置いても違和感のないコンパクトな木目調の仏壇を購入し、今に至ります。

 

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この義父さん、私の人生の中で最強のかまってちゃんでした。

「義父さんのこと、可哀想と思わんのか⁉」が、義父さんの決め台詞。

自分で自分のことを可哀想な人と思い、周りの人にも可哀想扱いをしてほしがる義父さん。可哀想扱いされることで、愛情や愛着を感じるパターンを持っていたんだろうなと思います。私は可哀想扱いしない嫁でしたけど、ここまで開き直って「わし、可哀想」全開って凄いなと感心したり、腹が立ったり、面白くなったりしたものです。

 

可哀想な人を創り上げていた私が、義父さんを可哀想な人として見なかったのは、

私の中に抑圧していた依存の部分が義父さんを許せなかった=自分の依存心を許せてなかったからです。義父さんの介護に私が関わるようになたっとき、まだ心のことを知らなかったし、頑張ってナンボ!の考えでしたから(^-^;義父さんはまだまだやれるのに、どうやったら前向きになってもらえるか考えたりもしていました(笑)

 

なぜだか義父さんには嫌われてもいいと思っていたので、思ったことを言葉を選びながらでも言えたんですね。30年以上も前の離婚話や義母さんに関する愚痴・悪口やら聞きましたけど、「義父さんの視点からはそう見えるんですね。義母さんには義母さんの言い分んがあるやろうし、子供たちには子供たちの視点があるでしょう。私はその場に居たわけでもないし、義父さんは共感していほしいと思うでしょうけど、ごめんね、聞くことしか出来ないです。」と伝えたこともあります。

伝えたからと言って関係が悪くなることもなく、私が正直に伝えたことで逆に距離が縮まったような気もします。

 

ケアマネさんとの電話でのやりとりの中で、

「子供が三人もおったら介護どころじゃないわ~ガハハハッ!」と、貫禄バリバリの雰囲気で言われたときも、なんだか救われたような気がしました。

一緒になって爆笑しましたけど(*^^*)

1~2歳児と視力が低下していた義父さんを連れての通院は、待ち時間が長い分、中々大変でしたから。

ケアマネさんが言うには、私と過ごす時間が楽しくて気分転換になっていたと義父さんは言っていたそうです。

 

 

末っ子次男が3歳になり私もパートを始めて、少しずつ夫に本音を伝えるようになってから、義父さんに関することは夫が行動することが増えました。

 

 

新婚当初、「別れた元夫が倒れたら、私が面倒みようと思う。子供たちには迷惑かけたくない。」と私に言っていた義母さん。罪悪感からの言葉だったのでしょう。

”え?離婚した意味は?”と思いながら、ふーんと聞いていましたが、

いざ、現実に義父さんが倒れ介護認定を受けたとき、申し訳なさそうに電話口で「やっぱり私には出来ない。子供らに任せようと思う。」と言う義母さんに、

「それで良いと思いますよ、多分なんとかなるから。」と伝えました。

 

自称7人兄弟だった義父さん。

亡くなった後、書類上は5人兄弟だったことが分かり、

あとの二人はどこに行ったのか疑問に思いましたが。。。。

義父さんは歳がかなり離れた末っ子だったそうで、もしかしたら戦争で亡くなった兄妹が居たのかもしれないという話になりました。

 

義父さんも、心が傷だらけだったんだろうなと今は思います。

 

私の実家と、義実家は似ている点があります。

父親にお金の問題があったということ。

義実家は義母さんが離婚を選び、私の母は「別れたい」と言い続けながら離れられずに

亡くなりました。

夫は「おかんが離婚して本当に良かったと思う」そう言っています。

関係ない私もそう思います(笑)←こらー嫁だろー

義父さんは離婚後、【お金の問題】から【数字を楽しみお金を増やす】才能に変わったようで、ギャンブル依存から卒業したそうです。研究も熱心だったのが遺品整理でも分かりました。凄いな、義父さん。その辺の話を聞いておきたかったな。

 

義父さん、お疲れさまでしたね。

会いたかった人たちとあちらで会えて思いっきり甘えられていますように。

大きなギフトをありがとう。(このギフトの話はまたいつか)

 

 

読んでいただき、ありがとうございました(@^^)/~~~