生きづらさを愛おしさへ

聴く専門家・春香のブログ

予期せぬ出来事で、放心状態になった私の口から出てきた言葉

 

 

 

 

愛しい皆さま、こんにちは。

春香です。

 

 

予期せぬ出来事シリーズ、続きます。

①予期せぬ出来事が起きるとき

②居てくれて、ありがとう

 

 

いつもと変わらない日常、いつものように居る家族。

 

 

でも私は、運転している時の体感や、庭に停まっている借りている台車を目にすると、なんとなく自分だけが別のところに居るような感覚。

 

当たり前だと思っていた色んなことが、当たり前じゃないんだなと思ったり。

 

私の体から何かが抜けていったように感じていたり。

 

 

3日目の朝には私、放心状態というか抜け殻状態になっていました(._.)

 

今日は私も仕事に行く日だな~と空を見上げてボーっとしていると、仕事に行く準備をしながら話しかけてくる夫。

 

他愛も無い会話の間に、私の内側からフッと湧き上がってきた言葉。

 

え?これって一般的には重たい…

これ言ったら夫はどんな…

 

私の思考の声が進むのも気にしない感じで口から言葉が出てきました。

 

「行かんといて。」

 

夫の目を見て、私はそう伝えていたんです。

 

大きな出来事が起きると、その衝撃や余波で普段は自分を守ってくれているものが、諸々吹っ飛ぶことがあります。(自分を守るために身に着けた目に見えない鎧や武器・マイルールが使えないというか、意味を成さなくなる。)

 

 

夫に伝えながら、こんな弱弱しい自分が居ること、こんな弱弱しい自分を夫に差し出していることに少しの驚きと喜びを感じつつも、生まれて初めて「行かんといて。」という言葉を発した自分を、弱いとか恥ずかしいとは感じませんでした。

 

あれだけ必死に弱い自分・出来ない自分を悪いモノとして隠して生きてきたのに不思議です。

 

 

言われた夫はというと、頭をかきながら悶えながら、「春香がそう思ってるのは分かった。でも、行かんといけん。」そう答えてくれたんです。

 

弱っている妻を置いて仕事に行かなければいけないという罪悪感を垣間見せる夫。

 

仕事に行くのも、私の為・家族の為。

そりゃあ悶えると思う。

 

お母さんが子供を保育園に預けて仕事に行く時に「お母さんがいい!!」と、子供に泣きながら言われた時に感じる罪悪感と似ているのかも。

 

そんなことを思いながら

 

「うん。私も仕事に行く日。」

私がそう伝えると、夫はちょっと拍子抜けしたようで

 

「なんで行かんといてって言うたん?」と、聞いてきたんですけど

 

「それぐらい私は心細くなってるから。」と、私は答えました。それも本当だから。

 

 

「行かんといて。」という言葉を伝えよう、聞いて欲しいという感じでは私はなかったのですが、いつかの私が呑み込んだ言葉や思いが、心の奥底の方から出てきたがっていたのかもしれません。

 

そう考えると、口にして伝えて良かった。

 

抜け殻状態になっていて、通常だったらブレーキになりがちな思考が働かなかった。

 

仕事に行くのが分かっているのにこんなこと伝えたら…とか、迷惑じゃないかな…とか、これぐらいで…と大したことない扱いをしてきた私が「行かんといて。」と、スルっと口にしてしまうくらい、今回の件は私にとって大したことだったんですよね。

 

 

息をするように当たり前に、これぐらい大したことないという捉え方をすることってないでしょうか?

不安になっている時、動揺を感じている時に、「これぐらい大したことない。」そう自分に言い聞かせている自分が居ませんか?

 

 

これぐらい大したことないわと強くなってきた自分と、置いてきぼりになったままの正直な気持ちの自分。

 

どちらも自分なのに無いことにされたままだと辛いというか、苦しくなってくるんですよね。

 

強くなってきた自分は、そうせざるを得ないことがあったり、モデルになる誰かが居たり、時代の価値観が影響していたり。

 

置いてきぼりになったままの自分が思いを吞み込んだのは、大切な誰かを思う気持ちからだったり。自分への誤解や勘違いだったり。

 

決して悪いことではないと思うし、そういう状態の自分を責める必要も本当はないんですよね。(その時の自分にはそうすることしか出来なかったのにも理由があるから)

 

どちらの自分のことも自分が分かってあげられたら…と想像したら、どんな感覚を感じますか?

 

 

 

今回の私と夫とのやり取りから、私の中のパートナーシップに距離感があることに気づいたので、私ちょっとテコ入れ中です^^

 

夫が忙しいことに慣れてきた自分。

その自分に諦めが入っていたことで、夫に頼ることが減っていたり、自分が感じていること思っていることを話すことも減っていたなと。

 

自分が自分の感じていること思っていることを、自分が見てあげてない、自分が聞いてあげてないってことでもありますからね。

 

 

「行かんといて。」という言葉は今は夫に。

 

遠い昔は、お母さんに言わなかった言葉。

 

近くに居たあの人が遠くに行ってしまうあの日に言えなかった言葉。

 

愛犬が逝く日に、泣きながらかけた言葉。

 

 

私が、私に言っているとも見えるんです。

 

 

皆さんは、どうでしょうか?

 

自分と自分との関係性が、ご主人や恋人とのパートナーシップや、周りとの人間関係に現れているとしたら…という視点で見てみると、何かしら発見があるかもしれません。

 

 

それでは、今日はこの辺で。

読んでいただき、ありがとうございました💛

 

 

 

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