生きづらさを愛おしさへ

聴く専門家・春香のブログ

あの時の親は、あれで精いっぱいだった

◇あの時の親は、あれで精いっぱいだった◇

 

 

 

愛しい皆さま、こんにちは。

カウンセラー春香です。

 

なんと涼しく過ごしやすいんだろうと感じるだけでご機嫌になれます^^

 

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*10月カウンセリングは9月28日(火)20時より募集開始です

 

 

私たちは幼い頃、親が『完璧』に見えます。

 

大人である親は子どもより出来ることが多いし、親がお世話してくれる姿や人と関わる姿を見ることで完璧に見えたり、親だったらこうするものでしょう、親なんだからこれぐらいして当然でしょうとか、期待や理想を知らず知らずに持つようになるので、無意識に『完璧』さを自分にも他人にも止めるようになるのかもしれません。

 

 

私は幼少期に父に可愛がられた記憶があり、自分より体も大きくて軽々と私を抱き上げ、何でも出来そうで男らしく見えていた父がヒーローだった時代があります。

 

ここ最近、我が家の長男のことをブログに書いていますが、ある日突然母親(私)に「大好きだよ」と思いを伝えられた長男が、翌日照れて目を合わさないという態度になっているのを見ながら、『翌日』というキーワードにピンとくるものがあったんです。

 

好きな人に告白してうまくいっての『翌日』、迷惑や心配をかけてしまった場合の『翌日』、誰かと喧嘩した日の『翌日』、誰かにこっ恥ずかしい面を見せてしまってからの『翌日』。

 

どうしようかな、どんな顔して会おうかなって思ったことはないでしょうか?

 

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いろんなパターンの『翌日』があると思うんですが、私が思い出したのは『親を悲しませた日の翌日』だったんです。

 

私が小学校6年生だったと思うんですが、私は補導されたんですね。

 

親になんて言われるんだろう…似たようなことをした兄は蹲るほどの制裁を父から受けていたから私もそうされるんだろうな…あぁどうしよう…そんなことを思っていると、母が部屋に入って来たんです。

 

母に言われたことで覚えているのは、父がショックを受けすぎて私と話ができないこと、それだけ父は私を可愛く大切に思っていること、少しは親の気持ちを考えなさい!ということ。

 

当時の私は、父が私を可愛く思っているのは何となく分かっていても、「大切すぎてどう接していいか分からないほどのショックを受けている」という状態が理解できないし、私はスポーツ大好きだったのもあって、真正面から分かりやすく叱られた後に、受け止めてもらうということを望んでいたんです。

 

父に怒られず、叩かれないのは私が可愛いからなんだ!お父さん心配かけて悲しませてごめんね!とは私はならず、私が兄と同じように対応してもらえないのは、『私が女だからなんだ』という呪いを自分にかけ、

 

同じ子供なのに兄と同じように対応できず、私と向き合うことが出来ない父のことを、『弱い』と私は感じました。『私は見てもらえてない』と感じるぐらい私にはショックなことだったから。

 

見事な親子の思いのすれ違いですよね(^-^;

 

親の思いはなんとなく分かったけれど、自分の気持ちを伝えることもなく(もしかしたら聞かれてもないかもしれないし、聞かれても答えられなかったのかもしれない)、

 

許してもらったという体感もなく、ただただ絶望を感じながら迎えた翌日、母は何事もなかったかのように過ごし、父は弱っているように見えつつも普段どおりを装っていたように思います。

 

翌日何事もなかったかのように過ごす親を見て、私は戸惑いながら居心地の悪さを感じました。親のその対応に、私の罪悪感が刺激され増したから。

 

何事もなかったかのような親の態度は、当時の私から見ると「触れないように」されているように感じていたけれど、ここ最近の我が家の長男とのやり取りを通して、親は親で「生きていたらそんなこともある」「大したことない」と思ってのその態度だったのかもしれない。

 

仮に「触れないように」していたのだとしても、あの時はそれが当時の親にとっての精いっぱいだったんだろうなと思います。

 

私も今、今の自分が出来ることをしているし、ねぇ。

 

あの時に感じた「父の弱さ」を私は嫌い裁いてきましたが、父に対してのものと同じ量で自分の弱さを嫌っては裁き、「男だろ!」という男だったら強くあれ的な思い込みも強化していったんですね。

 

そのくせ傷ついた男性を癒したいとか惹かれるとかで恋愛をしていたんだから、いろんな葛藤や矛盾が都度湧いていたのも今なら分かります。。。

 

父親が対応できないとなると表に出てくるのは母親で、母は母で怒りを現わしていましたが、やっぱり母もその怒りの奥には悲しみがあっただろうし、娘が可愛すぎてショックを受けて弱っている夫(私の父)を見て、いろんな意味で母も複雑だったのではないかな…と思います。

 

当時の蓋をして抑え込んだ自分の気持ち(寂しかったこと)に気づき、本当はどうしてほしかったのか、本当はどうしたかったのかを吐き出し、傷ついた自分に寄り添い受け止める作業を繰り返してきたことや、誰かに聞いてもらって共有すること、今の家族を通して気づくことで、視野が広がったり視点が高くなったりして受け止め方も都度変化しています。

 

頭(思考)で理解しようとしていた時には出来なかったのは、それぐらい自分の気持ち(本音)を抑え込んでいたし、弱さを嫌い裁いていた分、弱い自分・ダメと感じる自分を受け入れることも知られることも怖かったので。

 

でも、色んな視点を得られること、人と考え方や捉え方・受け止め方の違いを知ることで自分以外の他人への理解が深まったり、弱さのある自分を知り受け入れていくことで、弱さも自分の一部であり、誰かに助けてもらえるところなんだと思える分、他人に対しても思えるようになるので、少しずつ楽になっていきます。

 

完璧主義や理想主義、ジャッジが薄まっていく…緩んでいく…そんな感じです。

 

 

1人で難しい時には他力を使ってみましょう^^

 

それでは、今日はこの辺で。

読んでいただき、ありがとうございました(@^^)/

 

昨日より今日、今日より明日と良い方向に向かいますように^^

 

 

10月カウンセリング日程 

10月6日(水)

10時~/13時30分~

 

10月16日(土)

13時30分~/20時~

 

10月20日(水)

10時~/13時30分~

 

10月23日(土)

13時30分~/20時~


上記日程以外をご希望の方は、お問い合わせいただくか、お申込み時にご希望日時を第3候補まで教えていただけましたら、可能な限り対応させていただきます。