生きづらさを愛おしさへ

聴く専門家・春香のブログ

限界を迎えた娘のその後と、娘と私の境界線

 

 

 

愛しい皆さま、こんにちは。

カウンセラー春香です。

 

 

暑うございますね。

庭では毎日のようにキュウリ🥒が採れ頃です。

サラダ、漬物、酢の物を繰り返す予感。

 

 

さて、先週でしたか。

我が家の長女が頑張りすぎて限界を迎えたのは…。

 

たくさん泣いて

自分で決めたことを決め直した彼女は。。。

 

有給をとってリフレッシュ休暇を過ごしてきました。

 

職場の上司に「あなたは休みなさい!」「息抜きしてきなさい!」とか言われたのかい?と娘に聞いてみると、「いや~言われてはないけど~」となぜかニヤニヤしていました。

 

娘が自分の中に溜め込んだものが、沢山の涙によって解放されたせいなのか、穏やかというか柔らかい感じ(雰囲気)の状態が続いています。

 

『自分の限界』を知ることって大事なんですけど、若い頃って心身ともに元気なので自分に限界はあるなんて思うことも無いくらい、やる気に溢れていたり、そもそも自分が頑張っているという自覚も無ければ、自分がかなり気負っているという自覚も薄いかもしれません。

 

緊張している自分、不安を感じている自分、なかなか慣れない自分、失敗を恐れる自分、自分を見張る自分。。。

 

に、どこか気づいていながらも、いやいやこんなことくらいで…とにかく早く覚えなきゃ…しんどいなんて言ってらんない…と、思考でねじ伏せることも簡単にしてしまいますよね。

 

娘のことはざっくりとしか分かりませんが(なんせ情報量が少ないので)、娘にとって今回のことも自分自身を知る機会になってくれたらいいなと思っています。

 

限界を迎えると自分はどうなるのか?

そもそも自分はどうして限界までため込んだのか?

これまでにもそういったパターンは無かったかな?

 

そういう視点を持てるようになってくれたら…と私は思ってしまうんですが、18歳の頃の私はそんな視点を持っていなかったので、娘が色んな経験をしながら自分のことを知っていくんだろうとも思っています。

 

心理学を学んで得た知識とか、自分で実践してみての効果や考察は私の中にあるんですが、娘に聞かれたりお願いされたりしているわけではないので、今は見守っています^^

 

娘が思春期の頃は、娘に聞かれてもお願いされているわけでもないのに、ズカズカと娘の領域に入り込み、こうしたらどう?と『方法論』を展開していた私です💦

 

娘の言動から『どうにかしてあげたい!』『どうにかしなきゃ!』と、勝手に私が暴走しながら娘の領域に侵入するということを何度かした結果、

 

「お母さんの解決しようとするところが嫌だ。」と、

当時小6だった娘に言われてポカーーーーンとなったのが懐かしい…。

(良いポイント突いてくれてます)

 

これは問題だ!と思っている側の人の問題だなんて知りませんでした^^

 

 

娘はただ、聞いてほしかっただけだったんですよね。

 

『娘はそう思ってるんだね。』と、受け止めてもらいたかっただけ。

 

それなのに、当時の私は良かれと思ってしたことを娘に否定されたように感じただけでなく、自分自身を否定されたように感じたんですよね。

 

『お母さんが嫌だ』とは言われてないのに、『解決しようとするところが嫌だ』と伝えてくれているというのにーーーーー。

 

自己否定・自己嫌悪が強いと、相手の言動が自分の存在とくっついちゃうんですよね。

 

同じようなこと(問題視・問題解決・過干渉・コントロール)を母にされ続けていた私は嫌な感覚を覚えつつも「嫌だ」と思ってはいけない言ってはいけないという自分縛りをしていたけれど、そんな私とは違って娘はちゃんと本音を言えることに気づいて安堵したりしました。

 

娘と私の違いを知ることも出来て嬉しかった出来事です。

 

他人との境界線が曖昧な私には、娘のことでも他人のことでも自分のことのように感じることが多く(近しい人であればあるほど)、その人のことを考えすぎたり、身をのりだしすぎたりと、それこそ自分の限界なんてお構いなしだったと思います。

 

誰かが何かを言ったとき

「へー、そうなんだ。」

「そうか。あなたはそう思うんだね。」

と、何かを言った誰かを否定をせずに、ただそうなんだねと受け止めることが出来るようになってからは、だいぶ楽になりましたよ^^

 

そういう意味では、娘には境界線に関して鍛えてもらったなと思います。

私は私、娘は娘。

 

「くそババア!」

「うざい!〇ね!」

など言われるたびにグサッと刺さっていた言葉のナイフが、気づいたら刺さらなくなったのは、

 

娘に言われるたびに自分が感じている体感を観察していたことや、言われてムカついた時には1人で怒りを解放したり、辛いときには辛いと、『もう母親辞めたい』とか『私は母親に向いてない』とか、夫に弱音を吐けるようになったことも大きかったかと思います。

 

それまでは1人で抱え込んでいたので。(しかもそれに自分では気づいてませんでした。当たり前すぎて…)

 

 

娘は暴言を吐くぐらい今いっぱいいっぱいなんだな~

あんな悪態をつきながら甘えてるんだな~

 

それが分からなかった私は私で、いっぱいいっぱいだったんだな~

私は正しさで娘をコントロールしようとしてたんだな~

そして自分のこともコントロールしてきたんだな~

 

私が罪悪感を感じたくて娘に言わせてたりして…

 

娘に嫌われても私の価値は変わらないわ~

私の存在価値を娘の言動にくっつけなくていいわ~

 

私も思春期の頃に怒りを遠慮なく出してたら両親ともにグッサグサにしてただろうな~

それが出来なかった、しなかった私とは、娘は違うんだな~

 

私が娘に向けているエネルギーを、娘は私に戻そうとしてくれているのかも…

 

 

自動的・無意識に娘に向けていた意識を、手動で意識的に自分に向けていくことで、気づいたら娘の言動が刺さらなくなったり、娘の暴言が無くなりました。

 

そう、気づいたら。。。なんですよね。

 

気づいたら変わってた。ということが多いです、私。

(だから具体的に説明しづらく、分かりづらかったらごめんなさい)

 

 

他人との境界線が曖昧な人が、他人との境界線を意識し始めると、ドライになったような冷たくなったような感覚になることもあれば、以前より俯瞰して見ることが出来るようになったことに気づくことがあったり、以前より楽になったように感じることも出てくると思います。

 

その都度、自分の状態を見ながら褒めるところは褒めて、怒りを感じたら怒りを体から出してあげて、変化を感じられたら喜んで、出来なかった時には出来ない自分を受け容れて自分責めをしなくてよくて、本当はどうしたかったのかを聞いてあげながら、調整していかれたらいいと私は思っています。

 

一回で変わるということはなくて、コツコツと続けて積み上げていくことで、揺れても揺さぶられても真ん中に戻れるようになります。

 

辛くなったら休んで。

辛くなっている自分も、休みたい自分も、自分。

と受け入れられたら、

じゃあどうしたい?

どうしようか?

と対話しながら、またコツコツと出来ることからやっていく。

 

自分のことを理解していくことで、自分以外の他人への理解も増していきますよ^^

 

 

それでは、今日もありがとうございました💛

 

 

 

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