生きづらさを愛おしさへ

聴く専門家・春香のブログ

『私には〇〇しか出来ない』という思考の罠

 

 

 

愛しい皆さま、こんにちは。

「話を聴く人」春香です。

 

 

満月前だからなのかポーっとしております。

皆さんは影響を受けてらっしゃいますか?

 

 

自分のことや自分がしていることの価値を見ることが出来ないと、思考の罠にハマり、まるで自分が無力のように感じては自分を責めてしまったり、こんなんじゃダメだ、もっと頑張らないと!と、自己否定から始まる頑張りをしてしまうことが多々あると思います。

 

これ、私、カウンセラー活動をしてきたこの3年間でもやってきました。

 

何を感じながら自分責めしたり自己否定したりしてきたかというと。。。

 

『私は聴くことしか出来ない。』という自分への評価・解釈です。

 

 

この、『私は聴くことしか出来ない。』という捉え方を私がしてしまうのは、もうずっと昔から『人の話を聴く』ということを、当たり前にしてきたからでもあります。

 

自分にとっての『当たり前』って、本当に当たり前すぎて呼吸するようにしているので、その価値が本当に分かりづらいんですよね。

 

皆さんにとっての『当たり前』も、大いに疑ってほしい👀

 

これくらい普通でしょう?

これって当たり前じゃないの?

 

そう思うことって自分がしていることの中にありませんか?

 

 

聴くことが当たり前のように感じていたのは、10代の頃から、「なんで私に?」と感じるシチュエーションや案件で、私に話す人が居たからというのと、母親との関係だったり、実家のスナックの仕事も関係していると思います。

 

自分からドンドン話すことは苦手でも、『聴く』ということをしていたから、もう、本当に普通に聴いている感覚。

 

 

『聴くしか出来ない私』だと何かが足りないような気がして、学んで足そうとしたり、このままじゃいけないような気がしては、身も心も重たくなってモヤモヤしたり。(学ぶのは楽しい✨)

 

お話を聴かせてもらうことで、クライアントの表情や雰囲気が変わったり、温かい感想を受け取ったり、その後の変化を教えてもらって嬉しくなったり。自分がクライアント側になってカウンセリングを受ける際には、『聴いてもらう』ことの価値を強く感じては、これでいいのかもしれないと思ったり。

 

そういったことを、私は繰り返してきたんですよね。

 

 

もう、自分が出来ることを価値の無いように扱っては自分をイジメるのも飽きたんです。。。ホントに。(ごめんね、私)

 

だから、これからは『話を聴く』ということを活かしていきたいと思った次第です。

 

 

今日は、私の告白と宣言日記ですかね^^

 

 

皆さんが当たり前にしていることは、万人にとっての『当たり前』ではありません。

 

皆さんが育ってきた環境や教育を受ける場で身に着けたものもあれば、それらを使い磨いてきたことによる恩恵であったり、持って生まれた才能だったりもします。

 

ぜひ、自分にとっての『当たり前』をチェックしていただきたいなと思います。

 

自分1人では難しいかもしれません。

それぐらい自分では自分のことが見えないので。

 

他人との違いを知ることで、気づくこともあるかもしれませんよ^^

(比較して落ち込むのではなく、ただ違いを見るだけです)

 

 

それでは今日はこの辺で。

読んでくれて、ありがとうございました。

 

 

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