生きづらさを愛おしさへ

聴く専門家・春香のブログ

自分に望ませてあげられてますか?

◇自分に望ませてあげられてますか?◇

 

 

 

愛しい皆さま、こんにちは。

聴く専門家・春香です。

 

山々の葉が少しずつ紅くなってきてますね。

植えたままだった夏野菜たちに、「ありがとうね~美味しかったよ~」と言いながら引っこ抜き、冬物を植えました。

 

 

最近強く思ってること。

 

自分にどれだけ望ませてあげられるか、ということ。

 

どれだけ望ませてあげられるかは、どれだけ自分に許可を下ろせるかということと、セットになってるんですね。

 

頭の中も心の中も本当は自由。

 

でも、○○するべき・○○せねばで生きていたり、ある人を見てああはなりたくないと反面教師にしていると、ルールだらけになって頭の中も心の中も自由が無くなる。

 

社会生活を送るなかで大事なことでもありますが、偏りすぎると...しんどいです。

 

『正しさ』に縛られる感じかな。

 

 

本当は、、、という自分の本音さえも、『正しさ』で押し込んでしまったり。

そんなこと思っちゃダメとしてしまったり。

 

嫌な人、嫌な出来事が頭の中でずっとリプレイされることってありますよね?

 

自ら嫌な人・嫌な出来事に意識を向け続けて、嫌な体感覚になっている。

 

うわぁ~嫌だ~!!

ムカつくー!

なんでこんなことばかり!!

に意識を向けることは出来ても

『じゃあどうだったら嬉しい?』

『じゃあどうなったら安心する?』

と、自分の望みに意識を向けられない。

 

 

自分の本音や気持ちを、思考を使って抑えこみ続けてきたら。。。

 

上からぎゅうぎゅうに抑えこまれたら嫌だし苦しいですよね。

 

分かってもらえない。

聞いてもらえない。

知ってほしいのに。。。

 

もういいっ!!って怒ってスネちゃうのも仕方ない。諦めという怒りを使うのも仕方ないと思いませんか?

 

何度も何度も抑えつけた分だけ、自分との繋がりが薄くなり分離感を感じて、

 

感じた分だけ目に映る世界に対しても、分離感を感じたり、孤独感を感じたりする。

 

寂しくもなる。

 

でも、感じたくないから目を逸らしたり、目の前の現実をどうにかしようと動き回る。

 

本当は、ただ感じてることを受け止めてほしいだけ。

本当は、ただ感じてることを理解して認めてほしいだけ。

 

ものすごくシンプル。

文字にして現すのは簡単なのに

いざやるとなると難しく感じるのは

見たくない自分や許しがたい自分が居るからかもしれません。

 

どんな自分も自分なのに、ね。

 

 

望みがフッと沸き上がっても

そんなこと無理!!

いやいや、あり得ない!

非現実的じゃない?!

と、また思考を使って無いことにしたり、ぎゅうぎゅうに抑えこんだり。

 

そしてまた、分かってくれない!と怒ってスネて本音(ココロ)が閉じていく。

 

望みも出てこなくなったり

何をしても楽しさが薄くなったり

喜びも一瞬。。。

 

 

って、私はやっていたんだな~と、振り返りながら思ったんですよね。

 

かなりの、ものすごい自分イジメしてたんだなって。

 

ぎゅうぎゅうに抑えこんで

雁字搦めにして制限したり縛ってたんだなと。

 

それぐらいしないといけないくらいのエネルギーの持ち主だったんだと、ポカーンともしてます。

 

 

こうだったらいいな~♡

こうなったらサイコー♡

 

そうやって自分に望ませてあげられてますか?

 

 

それでは今日はこの辺で。

お風邪さん、ひかないようにお気をつけくださいね。