生きづらさを愛おしさへ

聴く専門家・春香のブログ

『寂しかった』が溢れ出すとき

◇『寂しかった』が溢れ出すとき◇

 

 

 

 

愛しい皆さま、こんにちは。

聴く専門家・春香です。

 

 

今日も秋空が気持ちいいですね。

澄み渡る空です。

 

 

私ごとなんですが。

昨日、感情が溢れました。

正直、「溢れる」どころではなくて「突き上がってくる」の方が近い。

 

自分を知ろうと進んできた過程で、これまでの人生を振り返り、どれだけ自分が感情を抑圧して生きてきたかということに気づいては、抑え込んだきた感情を感じたり受け止めたり寄り添ったりしてきました。

 

「寂しい」と言えなかった子供時代。

それは、忙しい親・病気を患っていた親に言えなかった言っちゃいけないと自分に禁止していたこと。

 

親を思う気持ちがあったからこそなんですよね。

 

それがいつしか私のパターンになり、「寂しい」と言ってはいけない…弱音を吐いてはいけない…寂しいと感じる自分を知られてはいけない…だって迷惑かもしれない…邪魔してしまったら悪いから…そういう解釈・観念を私が持ち続けたことで

 

恋愛でも仕事でも、夫婦関係でも親子関係でも、子育てでも、自分の本音や弱音を抑圧して生きていました。

 

抑圧していたことには気づかないし気づきたくないので、目の前の現実をどうにかしたいの一心で、生きていたように思います。(今もそうなる時ありますよ👀)

 

 

カウンセリングを受けたり、心理学を学んだことで、『自分が抑圧してきた本音』を見ることが何度もあり、そのたびに、それまで見えていなかった自分の愛や周りの人の愛に触れては沢山泣きました。

 

「自分には愛なんてない」そう思い続けていた私の中にも、愛はあったんだと受け入れられたとき、涙が止まりませんでした。

「自分には愛なんてない」「上手に愛せない」そう悩むくらい、私は抑圧していたし、愛がない上手に愛せない自分に罪悪感を感じていたんだと思います。

 

それほどに悩み自分を罰するほど、愛することも愛されることも禁止していた自分が居たなんて、思いもよりませんでした。

悩み苦しむくらいに愛を求めていたなんてね。

どれだけの寂しさを抱えてきたんでしょう。

 

 

私は寂しさを、どこか隠しておくべきものと思っていたけれど、寂しさがあるから人と繋がりたいという欲求や意思を持てたり、他人の寂しさに気づいてあげられたり出来るんですよね。

 

 

そんな私に、過去最大級の『寂しかった』がやってきました。

 

少しずつ少しずつ、じわじわと私の内側が緩んできたタイミングだったんだと思います。

 

洗濯物を干していてもメイクをしていても、運転をしていても、買い物をしていても、涙が勝手に流れる。。。感じているのは『寂しかった』という気持ち。

 

帰宅すると同時に嗚咽が始まり大号泣です。。。

 

ただただ『寂しかった』が次から次へとやってくる。

下から下から押し上げられるように。

肚の底から突き上げてくるように。

 

涙も鼻水も『寂しかった』も止まらないし思考も追い付かない状態で、これまでとは違う自分の状態に私自身が戸惑いました。止めようがないし止まらない。

 

気づいたら

「もう無理だ。。。」

「これは1人では無理だ。。。限界だ」

「夫に会いたい。。。」

 

 

そう、泣きながら呟いていた自分が居ました。

そしてやってくる思考の声。

「でも夫は今、仕事中でしょ?」

「帰ってきてから伝えたら?」

「仕事の邪魔かもよ?」

 

 

そんな思考の声がしても、下から下から突き上げられてくる「寂しかった」の波。

 

 

頭の上の方から

『電話してみたら?』

『会いに行ってみる?』

『選択肢は1つじゃないよ?』

そう聞こえた気がしたんですね。

(感じたままに書いています)

 

すぐに夫に電話すると、いつもと様子が違うことに気づいた夫が一時帰宅してくれることになりました。

 

 

夫を待つ間も、顔がぐしゃぐしゃになる嗚咽と号泣は止まらず、階段に座りながらそのままに居ました。

 

そしたら、階段に座り泣いていた幼い私を思い出したんです。

夜の仕事をしていた両親は2階で働いていて、3階の自宅で夜中に目を覚ました幼い私は、2階と3階の間にある階段に座り、心細くて泣いていました。

 

お店に入ればお父さんとお母さんが居る。

でも2人はお仕事中。

お仕事中に入ってもいいのかな。。。

入ってはいけない気がする。。。

 

幼いながらに葛藤しながらどうしていいか分からす、階段で泣いていたように思います。最初はしくしく泣いていたのに、もう心細くて怖くて子供らしくワンワン泣きだすと父が店から飛び出してきて、抱っこされたまま布団に運んでくれる。

 

これまで何度もイメージで見てきた幼い私の姿。

 

幼い小さな身体で、自分の気持ちより先に親の仕事の邪魔をしてしまうんじゃないかと考える後ろ姿。

 

 

その幼い後ろ姿を見ている今の自分、後ろ姿を見ている自分を感じている自分。。。感じている自分を見ている自分。。。何層にも感じる自分を感じるたびにこみ上げてくる「寂しかった」と涙と鼻水と温かなもの。

 

「もう、いいんだよ。」という優しい声。

 

小出しに出てくる抵抗の声(こんなの見られたくないという頭の声)も力を持ちませんでした。

 

子育てで悩んでいたとき

レスで悩んでいたとき

親子関係が苦しかったとき

仕事のことで悩んでいたとき

「愛されない」と思い込んでいた時

愛犬が亡くなったとき

母が亡くなったとき

父が亡くなったとき

私が事故に遭ったとき

 

夫の前で何度も涙を見せてきたし、何かあるたびに自分の本音を出してきたことは間違いは無いんですけど、私が怖がりな分、見せる量とか深さをコントロールしていただろうと思います。

 

子供のように泣きじゃくる姿は見せたことは無かったし、『ゆっくりしていいよ』と言われても、弱っている自分をどうにかしないと・どうにかしなきゃと、自分がまだ回復していないのに、何度も立ち上がってきた私です。

 

 

結果的に、鼻水を垂らしながら泣きじゃくる私も、支離滅裂なことを伝える私も、寂しさが溢れる私も、寂しさを我慢してきた私も、迷惑かけないようにと我慢してきた私も、知られたくないと隠してきた私も、全部、大丈夫でした。

 

 

「それを知ったところで俺は変らない。」

だそうで。

 

いつだって夫の答えはシンプルです。

 

 

迷惑かけないように生きていても迷惑をかけることもあるし、迷惑をかけずに生きてる人なんて居ないだろう。

 

いい子になる必要なんてない。

開き直って悪い子になればいい。

手がかかる子、迷惑をかけられる子の方が、なんだかんだ可愛くない?

子供らを見ててもそう思わん?

 

夫の言葉を聞き入れていく間に、涙も鼻水も「寂しかった」の大洪水もスーーーーーと止まっていったんですよね。

 

蓋してくれたのかな?

もの凄く落ち着きました。

 

 

そこから話しの流れで

「俺が稼いでくることに感謝は要らない。

俺が決めて俺が選んでやってることだし、俺にとって当たり前のことだから。」

とも言われました。

 

男の人って凄い。

ホントに凄い。

 

 

話も終わって夫は仕事に戻るのかと思いきや

「俺はもう開き直って昼寝する!!」と横になり爆睡です。

 

目の前でお手本を見せてくれます^^

起きたら起きたでアイスを食べてゴロゴロしまくり。

結局仕事に戻らず夜を迎えました。

 

 

後ですね。。。

夫に「少しは人の話を聞きなさい」とも言われました(>_<)

「一旦聞き入れてから、そこからどうするかを選びなさい」と。

 

夫からの言葉も、夫からの愛も私は受け取り拒否していたんだな。。。ということにも改めて気づいた次第です。はい。抵抗していたんでしょうね。。。

 

それぐらい、受け入れる受け取ることが怖かったのかなとも思います。

怖いと感じたらどうしたって閉じちゃうから。

閉じちゃったら入れませんもんね。(受け取れない)

 

 

私と同じように怖がりな人こそ。

安心・安全を感じられる場や人に頼ってくださいね。

自分の感覚が頼りです。

 

 

久しぶりに長文になってしまいました。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

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