生きづらさを愛おしさへ

聴く専門家・春香のブログ

罪悪感というもの

◇罪悪感というもの◇

 

 

 

 

愛しい皆さま、こんにちは。

話を聴く専門家の春香です。

 

 

12月にしては温かいと思っていたら、今日は結構な強風で週明けからは10度以下らしいですね。

 

寒いのも苦手です。(暑いのも)

防寒対策をして、寒さから身を守りましょう。

私はスパッツ穿いてます。

腹巻や毛糸のパンツも活用しますよ~。

 

 

ここのところ、『罪悪感』と向き合っている私です。

 

以前にも罪悪感について書いたことがあるとは思いますが、罪悪『感』だから、感じている本人のものであり、本人にしか分からないものでもあり、本人も気づいていない場合もあります。

 

感じているだけなのに、その体感の悪さに呑み込まれていきそうになるんですよね。

 

私が悪い。

私は良くないもの。

 

そういった観念(思い込み)を長く持ち続けていると、もう何でもかんでも自分のせい、自分が悪いと感じやすくなります。

 

 

私が悪い、私は良くないものという思い込みにハマると、他人を守るために人との関りから遠ざかったりとか、いつも自分を責めているので自分だけでは足らずに他人にまで責める意識を向けたり、幸せにならない選択をし続けたりとか、してしまうんですよね。

 

私が持っている罪悪感は、私だけのものではありません。

 

感受性が強い人は、他人の罪悪感をも引き受けてしまいます。

ホントに無意識に。

一番身近だった両親の罪悪感とか。

 

 

 

今、罪悪感と向き合っている間にも、これまで気づかなかった親の私に対する罪悪感にも気づくようになりました。

 

あんな態度を取っていた親にも、罪悪感があったんだ。。。

母の意向を組んで父がワル役(のように見える役を)引き受けてたんだ。。。

父は母をそれほどにも愛していたんだなぁ・。

 

気づいていくたびに、そこにあった愛だとか、罪悪感を感じるほどに私を愛してたんだなぁと、これまで見えなかった愛を受け取ることにもなっています。

 

親をより理解するための今なのかなとも感じています。

(それぐらい私たちはなんだかんだ言いながらも親を思ってるんですね)

 

自分自身の親への

「助けられなくてごめんなさい」

「期待に応えられなくてごめんなさい」

という、いつから持ち続けているか分からない罪悪感もまた、大元は愛でしかないんですよね。

 

人は愛したい生き物と言われますが、本当にそうだなと思います。

 

 

思いつくままに書いているので、なんのこっちゃかもしれませんが。

 

 

体感の悪い『罪悪感』ではありますし、どっぷりハマると悲劇のヒロインにもなってしまうものでもありますが、罪悪感の裏には愛がある、その感じている罪悪感と同等のサイズの愛があるということを忘れないでいたいです。

 

愛の視点で見ること。

 

そして、「それって本当かな?」と、自問できる自分で居られること。

 

観察できる視点を持つこと。

 

そしてそして、人は居るだけで誰かの役に立っているということ。

 

そして、笑える自分で居られること。

 

対象となる人との境界線を意識すること。

 

心配で見るのか信頼で見るのか自分で選べることを忘れないこと。

 

背負わなくていい、引き受けなくていいという許可を出し続けること。

 

 

どっぷりハマると、自分に楽しみや喜びさえも与えようとしないのが罪悪感。

罪人ですから、罰を与えようとエゴが囁いてくるから。

受け取ることにもブレーキがかかるんですよね。

 

相手の気持ち(愛)や自分の愛に意識を向けて、相手の気持ち(愛)を受け取れる自分、相手を信頼できる自分でありたいものです。

 

 

 

それでは今日はこの辺で。

読んでいただき、ありがとうございました💛