『滞り』について考えてみる
◇『滞り』について考えてみる◇
愛しい皆さま、こんにちは。
カウンセラー春香です。
ここのところ私の住む高松市は
雨が多い日々です☔
皆さんの地域はどうでしょうか?
雨を喜ぶ日もあれば
雨空を見ながら憂う日もある。
感じていることってホント変わりますね^^
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今日は「滞り」について書いてみようと思います。
『滞る』(goo辞書よりお借りしました)
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1
が に運ばない。はかどらない。つかえる。「 が—・る」
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2 金を支払うべき
になっても支払わない。「 が三月分—・る」
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3 流れがとまる。
する。「 が—・る」
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4 ためらう。ぐずぐずする。
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「何ごとにかは—・り給はむ」〈
・賢木〉
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なぜ「滞り」について書いてみようかと思ったかというと、私自身が滞っていると感じたからです。
上記にある
3.流れがとまる。停滞する。
4.ためらう。ぐずぐずする。
つまり、詰まりがある状態ということなのでしょうねぇ👀
私自身を振り返ると、自ら動き(流れ)を留める傾向があります。
なんでわざわざ自ら動き(流れ)を停めることをするの?と、思われる方も居るかもしれませんが、頭の声がうるさいからですよっ☆☆☆
ざっとしすぎですかね。
もっと細かく見ると、自分で自分を厳しく細かく見張っていて、不安や恐れから自らの動き(流れ)を止めようとするんですね。
自分で自分を縛る、と言いましょうか。
自らに制限をかける、と言いましょうか。
自分を見張る頭の声が、動けなくなるくらいに圧をかけてくる…そんな感じです。
人の頭の中とか心の中って見えないから、傍から見たら、内側で何が起きているかなんて分からないし、そう見えない振舞もしていると思います。
その、頭の声(心理学で言うエゴの声)は自分自身を守る為でもあるんですが、守られているという感覚より、縛られていたり、とても窮屈に感じたり、ずっと責められているようにも感じます。
良い感じでは全くないのです。
そして、その嫌な感じという感覚は、「ズレてますよ~」というお知らせでもあります。
自分にとっての真実ではない頭の声を採用しているから、嫌な感覚になるんですよね。
また、その嫌な感じという感覚に囚われていると、目の前のこと・目の前の人に全力を注げない、今しかない今しか味わえないものを取りこぼすということも発生します。
もったいないよね。。。
私たちは今しか生きられないというのに。
*
先日、久しぶりに行ったヨガで先生が「滞り」についてお話をしてくれました。
なんか身体が重たい
ヨガに行くと筋肉痛になる
ヨガの後は怠くなる
痛みがあるから休もうか
👆
「上記のような時こそヨガに来てください。身体が辛いときも。動かさなくてもヨガに来て、居ることで気づきを得られることがあるんです。そのままの状態で何もせずに居ると余計に滞ります。身体を動かし意識を動かして皆で楽しんで、滞りを流していきましょう。」
たーしーかーにー!!
となった単純な私は、身体を動かす気持ち良さ、今の自分の状態を知って受け入れること、その場に居る人たちと痛みや出来なさを分かち合ったり笑いあったりすることを、楽しんできました。
太陽礼拝は身体だけでなく気の流れを良くする効果があるそうですよ^^
わたし、1日に3回するよう心がけてます。
滞っているとき、与える・受け取るということも回ってないように感じます。
循環が生まれない感じ。
出口が無いという感覚もあるかもしれません。
*
沢山じゃがいもをいただいたのが嬉しくて、久しぶりすぎるくらいにコロッケを作りました。生き生きした野菜をいただくと、なぜか凄く料理したくなるんですよね。
自分が食べたいという欲も、もちろんありますけど。
玉ねぎと挽肉を肉じゃが風味にして、じゃがいもと混ぜたコロッケ。
揚げたてサイコーーーーー!!
ご近所さんと義母さんのところに差し入れしてきました^^
コロッケって、じゃがいもを剥いて茹でて具と混ぜ合わせて成型して、小麦粉・玉子・パン粉をつけて揚げるので、その工程が面倒と言えば面倒なんですけど。
そのややこしめの工程が、この時の私にとっては『今』に居られて気持ち良かったです^^
家事って私にとって今に居られる作業だなと感じることが多い。
皆さんにとって今に居られる時間って、何をしている時間ですか?
また、『何もしていない時間』をどんな風に感じていますか?
そんなお話も聞きたいな。
人それぞれだと思うので、違いを楽しんだり新しい発見が楽しそう。
それでは、今日はこの辺で。
来てくれて、ありがとう💛