愛しい皆さま、こんにちは。
カウンセラー春香です。
突然ですけど、『あなたは喜びの存在です。』と言われたら、どう感じますか?何を思ったりするでしょう?
心の世界では、『誰もが喜びの存在である』という言葉を目にしたり耳にしたりすることがあります。
初めてその言葉に触れたとき、正直、私は…「ん?どういうこと?」と思っていました。
誰もが誰かを喜ばせる存在である。
ということなんですけど、あの人はそうかもしれないけど、私は違うような気がすると思っていた私。(無価値感、罪悪感、セルフイメージの低さから)
いやいや、あの人は違うだろう。
と、自分勝手なジャッジを他人にくだす自分も居たり👀👀👀
自分のことを良くないものだと思っていたり、迷惑なんじゃないかと疑っていたり、私には価値がないと愛されていないと感じたりしていると、自分が誰かにとっての『喜びの存在』とは、思えないんですよね。
自己価値やセルフイメージが低い日本人は「そんなこと言われても。。。」「私なんか。。。」と、抵抗が出やすい傾向があるんじゃないかと。
『喜びの存在』と言われると、何か壮大なような特別なようなイメージがあるかもしれませんが、結構身近なものだとも思います^^
ピカピカのランドセルと制服を身に纏った子供を見かけたとき、晴れやかな気持ちになったり、おめでとうという気持ちになったりしませんか?
全然知らない子供でも、目にしたその時、私は喜びを感じさせてもらうんですね。
桜の木の下のベンチに座っている高校生カップルの中良さそうな様子も見ても、可愛いな~青春だな~と心がウフフとなったり。
そのカップルもまた、私に喜びを感じさせてくれた。
悶絶整体のYouTubeを時々視るのですが、ある患者さんの体の不調と向き合う姿勢だったり施術者の優しさだったり、施術から数カ月後のその患者さんの変化や、その様子を見守る施術者側の表情やアドバイスなど、私はちょっと感動したんです。
さらに感動したのは、コメント欄が「患者さんのことを知らないのに、応援したくなる」「患者さんのことを知らないけど、人柄や向き合う姿勢に惹かれた」「良くなってほしい」という視聴者からの愛情を感じる言葉。
遠い距離の人でも、知らない人でも、心を動かされて感動したり喜びを感じたり、応援したくなったりしますよね^^
対象の方は周りの人や見ている人にそうしてもらおうと意図してないのに、見ているこちら側が勝手に反応して何かしら感じたり行動しているんです。
近い距離の人でも、同じではないでょうか。
近かったり日常だったりすると『当たり前』とか『いつものこと』なんて思うかもしれませんが、日常には自分を知るきっかけがそこかしこにあります。
あなたが誰かを喜ばせているとき。
あなたが誰かに喜ばれているとき。
あなたの話を楽しそうに聞いてくれる人。
あなたの出来事を自分のことのように喜んでくれる人。
あなたの出来事を自分のことのように悲しんでくれる人。
あなたに会えて嬉しかったと言ってくれる人。
あなたに来てくれて嬉しいと言ってくれる人。
あなたと一緒に居ると楽しいと言ってくれる人。
あなたと一緒に居ると落ち着くと言ってくれる人。
あなたに辛いことがあったとき一緒に寄り添ってくれる人。
あなたが居てくれてよかったと言ってくれる人。
そういう人が、今現在や過去にも居ませんでしたか?
思い出して拾いあげてみてくださいね。
私はこの記事を書きながら父方の祖母を懐かしんでいます^^
自分が思っている自分は、自分が思っているより意外と良いもの(存在)です。
良くないと思ってしまうのは、自分にだけは猛烈に厳しいから。
他人から見た自分を知ることで、新しい視点を得られるし、そういう風に見てくれている人も居るんだという衝撃や広がりを感じられたり、その人のことも知れるので楽しいですよ^^
『身近な人に自分の良いところ魅力的なところを10人に聞く』という宿題を数年前にしたことがあるんですが、ま~抵抗が凄かったです(笑)
跳ね返したくなったり、隠してきたのになぜバレている⁉と挙動不審になったり、そうやろう?と調子に乗る自分が居たり、変に汗をかいたり、教えてもらったことを今以上にしなくてはいけない気がしたり(無意識に期待に応えようとする癖)と、色んな自分に出会いました。
私からのお願いに応えてもらったことや、そういう風に見てくれていたことに対しての「ありがとう。」も、ぎこちなかった私ですが嬉しかったです^^
ちょっと自分もその宿題やってみようかな?と思ったそこのあなた、ぜひやってみてくださいね。
自分1人ではどうしても視野が狭くなるので、誰か他人の力を借りると広がります^^
一緒に宿題したいなと思われた方、
あなたの存在に私が大喜びするこちらへどうぞ👇👇👇
それでは、今日はこの辺で。
読んでいただき、ありがとうございました💛