生きづらさを愛おしさへ

聴く専門家・春香のブログ

人が与える影響

◇人が与える影響◇

 

 

 

愛しい皆さま、こんにちは。

カウンセラー春香です。

 

 

 

先日、ご近所の親世代の方から、お野菜と鰹節をいただきました💛

 

年末にカレーを差し入れした時には、風邪気味で寒さが辛かったり、一人暮らしの寂しさだったりで、弱音をポロっと出されていたので気になっていたんですが。。。

 

長引いていた風邪が治ったり、お正月にお子さんやお孫さんが帰ってこられて、楽しい時間を過ごされたようで、年末とは別人のようにご機嫌さんになってらっしゃったんですよね^^

 

よかったよかった~やっぱり人と繋がっている感覚とか、共有する時間とか…会えること、居てくれることの影響って凄いなと思った帰り道でした。

 

 

万人に与えられる影響力と考えると、なんだかとてつもない大きな影響力のように感じます。インフルエンサーとかね。有名人著名人とか。

 

一人一人それぞれに影響力ってあると思うんです。

 

 

 

ご近所さんの様子を感じながら、私が実家に帰省することでも私も親に与えていたんだな~、孫を連れて行くことで元気や笑顔を与えていたんだな~

 

と、自分ごとに置き換えて、改めて自分や子供たちの存在価値を感じてみたり

帰省するたびに両親にしてもらっていたことをありがたく思い感謝が湧いてきたり。

 

 

両親が生きていた頃には帰省するのが気が重たかった私ですが、今頃になって、帰る実家があるっていいな~と、羨ましくも思ったりもします^^

 

 

見方や捉え方が変わるって、不思議で面白い。

 

 

私が『実家が重い』『母が重い』と感じていたのは、私が実家と母を背負いすぎていたり、私が他人との境界線が薄いことから、母の感情を自分のことのように感じていたからなんですけどね。

 

「可哀想なお母さんフィルター」を通して、母のことを見ていたからでもあり、べきねば思考で生きていたからでもあります。

 

親世代の価値観をまるっと取り入れていたからでもあり。

 

いろんな理由があっての、『実家が重い』『母が重い』だったわけです。

 

どれだけ私は期待に応えたかったんだろうと、当時は全く気づいていなかった親への愛に気づいたり感じてみたり。

 

愛されてないように感じていたのに、当時は分からなかった見えなかった親からの愛はいつもずっと傍にあったことに気づいたり感じたり。

 

 

フィルターのお掃除をすると、これまた見え方・捉え方が変わるから不思議です。

 

 

皆さんにとっての、『お母さん』『実家』ってどのように感じていて、どのように見えますか?

 

 

それでは、今日はこの辺で。

読んでいただき、ありがとうございます。

 

 

 

 

 

身体に意識を向ける

◇身体に意識を向ける◇

 

 

 

愛しい皆さま、こんにちは。

カウンセラー春香です。

 

 

皆さん、日ごろ、頭と身体のどちらが活動していますか?

 

どっちもしてますよね?

 

動かしている意識があるのは身体かもしれませんが、無意識にしている思考の数も中々のものです。(1日に6万回はしている説)

 

そして、何をするにしても『考える』ことをしない日は無いと思います。

 

SNSも身近な存在ですし。情報が溢れかえっている。

 

江戸時代の人たちの生涯の情報量を、現代人の情報量は既に超えているというのを何かで読みました。(うろ覚えです)

 

 

思考優位で生きている方が多いんだろうと思います。

私も、です。

思考優位、思考過多。

 

 

心配事とか不安に感じることがあると、より思考的になったりします。

自動思考が止まらなくなる。

よくもまあ、そんなにネガティブに先のことまで考えられるわねぇ…と、感心するくらい思考が勢いに乗ることがあります。

(自分を守るためのものと分かってはいても、疲れるし体感悪い)

 

そんな時には、何もしない時間や身体を動かす時間を作ってみるといいですよ。

 

 

先日、次男とプチ登山をしてきました。

 

言い出しっぺは私なんですけど、インドア派の次男が乗ってきたのでGOです。

 

車から見える山を眺めながら、

「あの山に登るけど車から見える感じでは、あの山はどう見える?」

 

「そんなに大きくないから、イケるんちゃう?」

 

そんなやり取りをしてから、登り始めた途端の急こう配に、次男も笑っていました。

 

 

お天気はイマイチで、写真の撮り具合もイマイチです。

 

 

少し前に長女と登った時は、8合目あたりから差が開き始めたんですが、更に若い次男とでは、6合目あたりから差が開き始めました。

 

置いて行っていいよと、事前に伝えていたくせに

 

「待ってーーーーーキッズーーーー!」

と、謎に我が子をキッズ呼びです。

 

 

私の呼吸は完全に上がり、肩も上がり、胸式呼吸の口呼吸。

自分の呼吸音がうるさいくらい。

 

 

キツい。。。

なぜ登ろうと言ったんだ、私。。。

そんな思いが一瞬出てきた時に、身体に意識を向けようと、一歩足を出すたびに、「右」「左」と頭の中で繰り返してみました。

 

そしたらば、『今』にしか居ないし、進んでる自分の足を感じられるので、どんどん気持ち良くなってきたんです。下半身がしっかりしたように感じました。

 

疲れやキツさ、不快感が激減。

 

 

誰にも分からない未来や、戻れない過去のことを考えているときって、頭の中でグルグルしているから、身体の感覚は薄まって身体との繋がりを感じにくいし、体感も悪い上に未来への不安感や過去への後悔が続きますよね。

 

 

『今』に居ること、『今』目の前のことや人に集中することが出来ているとき、無駄なものが無いというか、身体と繋がっている感覚があります。

 

キツいのは変らないのに、体感覚が明らかに違う。

面白い^^

 

頂上での次男を、休憩所から眺める母です。(座らせてください)

まだ降りないよ~~~と、呼び戻しました。(座ったばかりだから)

 

 

休憩所にてゴロンと横になり見上げた景色。(横にならせてください)

最高に緩んだ時間でした。

 

 

下りは、私が先頭で最後まで。

次男は高いところが苦手なので。

登りは平気でも下りは怖さがあったらしい。

それもまた面白い。

 

 

次男が車から見て感じたことと、実際に登ってみて感じたことも、違っていたようですす^^

 

 

私、ある人に見てもらったところ、

首から上と、首から下が別人のようにエネルギーが違うと言われたんです。

 

そのため、何をするにしても葛藤だったり、自分じゃないという感覚を感じやすいんだとか。確かに感じまくりです。

 

改善するためにも下半身を鍛えた方がいいらしいので、プチ登山はいいな~と思いました。1人で登るのもやってみたい。誰か一緒に登りませんか~?

 

 

ちょっとキツイと感じる運動をすることで、思考も止まってクリアになるし、リフレッシュできていいですよ。

軽めの運動やお散歩でも、感じることや身体に意識を向けることで、リフレッシュできます。

 

 

途中ですれ違った男性が、背中にコンクリートブロックを背負って登ったり下りたりされているのを見て、「すごいなーーーーー👀👀👀」と、驚きました。

 

挨拶も爽やかで負荷を感じさせない笑顔👀👀👀

 

いったい何者なんだろう…何回往復したんだろう…と、思考を働かせた私です。

 

 

 

それでは、今日はこの辺で。

読んでいただき、ありがとうございます。

 

 

 

 

明けましておめでとうございます。

 

◇明けましておめでとうございます◇

 

 

 

新年を迎えました。

明けましておめでとうございます。

 

 

夫と一緒に初詣。

歩いて登るかケーブルカーか。

 

迷うことなく歩きを選択。

 

そしてすぐに

『キツいじゃないかっ!』

最初の勾配がなかなかのもの。

 

はぁはぁはぁ😵💨

と、息を切らしながら歩きました。

 

キツいのにも少しずつ慣れて

あともう少し~と言われて

ホッとしたり

期待したりしながらも

 

またキツい勾配を迎えたり

もう少しじゃないやんか~という

現実に気づいたりしながらも

 

笑ったり

無言になって歩いたり

自然を感じてるうちに無事到着。

 

 

 

天気も良く

空気も清んでいて気持ちいい。

 

ご神気を感じられると

思考が緩むな~と感じました。

 

普段動かさない身体を動かしてるから

余計にそう感じるのかも。

 

 

けっこう登った気がします。

キツさもあったけど。。。

気持ち良かった~~~。

 

今年は身体を動かしたい。

そう思いました。

 

 

義実家にて義母さんの手料理やお節にデザートにお年玉をいただき、

こうやって食べさせてもらえるお正月を迎えられるのも、義母さんが元気で居てくれるからだな~と、なんかしみじみ思ったんですよね。

 

私たちが元気で居るから、義母さんも(私たちに)してあげたいことをしてあげられる。

 

居てくれて、ありがとう。

 

そんなことを思いながら満腹な元旦です。

 

 

2024年が皆さまにとって、良い年になりますように。

 

より良く生きていく年にしましょうね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今年が終わりますが、良いお年を。

◇今年も終わりますが、良いお年を◇

 

 

愛しい皆さま、こんにちは。

カウンセラー春香です。

 

 

今日は12月31日。

2023年が今日で終わりです。

 

この1年間、どんな1年だったでしょうか。

 

1人1人違う1年。

 

楽しかったことも

嬉しかったことも

腹の立つことも

悲しかったことも

辛かったことも

感動したことも

感謝したことも

怖いと感じたことも

皆さんそれぞれにあったと思います。

 

私は上に書いたこと全部ありました。

 

 

わたし何にもしてないな。。。と、『ない』方を見てはネガティブを感じがちの私ですが、今年はリアル対面でのお話し会やカウンセリングをさせてもらったじゃないか!!とハッとした年末です。

 

 

『ある』を見る。

 

 

大切なことなのに、油断するとすぐ忘れちゃいます。

 

皆さんも、お気をつけて。

 

 

どんなことがあっても、皆さん頑張った1年だったことは間違いないと私は思っています。

 

頑張った自分のことを、どうか労ってあげてくださいね。

 

 

 

今年最後の日、朝から温泉に行ってきました。

 

12月は短期の仕事をしていたこともあり、自分を労りながら温まってきました。

 

温まると、安心感を感じたり、思考が緩んで内側から満たされる感覚になるので気持ち良いんですよね。

 

 

どうか皆さんも温かくして、良いお年をお迎えくださいね。

元旦は開運日らしいですよ👀

 

私のブログに出会ってくださった皆さま、ありがとうございました。

来年もよろしくお願いいたします。

 

 

 

春香

 

 

 

 

 

罪悪感というもの

◇罪悪感というもの◇

 

 

 

 

愛しい皆さま、こんにちは。

話を聴く専門家の春香です。

 

 

12月にしては温かいと思っていたら、今日は結構な強風で週明けからは10度以下らしいですね。

 

寒いのも苦手です。(暑いのも)

防寒対策をして、寒さから身を守りましょう。

私はスパッツ穿いてます。

腹巻や毛糸のパンツも活用しますよ~。

 

 

ここのところ、『罪悪感』と向き合っている私です。

 

以前にも罪悪感について書いたことがあるとは思いますが、罪悪『感』だから、感じている本人のものであり、本人にしか分からないものでもあり、本人も気づいていない場合もあります。

 

感じているだけなのに、その体感の悪さに呑み込まれていきそうになるんですよね。

 

私が悪い。

私は良くないもの。

 

そういった観念(思い込み)を長く持ち続けていると、もう何でもかんでも自分のせい、自分が悪いと感じやすくなります。

 

 

私が悪い、私は良くないものという思い込みにハマると、他人を守るために人との関りから遠ざかったりとか、いつも自分を責めているので自分だけでは足らずに他人にまで責める意識を向けたり、幸せにならない選択をし続けたりとか、してしまうんですよね。

 

私が持っている罪悪感は、私だけのものではありません。

 

感受性が強い人は、他人の罪悪感をも引き受けてしまいます。

ホントに無意識に。

一番身近だった両親の罪悪感とか。

 

 

 

今、罪悪感と向き合っている間にも、これまで気づかなかった親の私に対する罪悪感にも気づくようになりました。

 

あんな態度を取っていた親にも、罪悪感があったんだ。。。

母の意向を組んで父がワル役(のように見える役を)引き受けてたんだ。。。

父は母をそれほどにも愛していたんだなぁ・。

 

気づいていくたびに、そこにあった愛だとか、罪悪感を感じるほどに私を愛してたんだなぁと、これまで見えなかった愛を受け取ることにもなっています。

 

親をより理解するための今なのかなとも感じています。

(それぐらい私たちはなんだかんだ言いながらも親を思ってるんですね)

 

自分自身の親への

「助けられなくてごめんなさい」

「期待に応えられなくてごめんなさい」

という、いつから持ち続けているか分からない罪悪感もまた、大元は愛でしかないんですよね。

 

人は愛したい生き物と言われますが、本当にそうだなと思います。

 

 

思いつくままに書いているので、なんのこっちゃかもしれませんが。

 

 

体感の悪い『罪悪感』ではありますし、どっぷりハマると悲劇のヒロインにもなってしまうものでもありますが、罪悪感の裏には愛がある、その感じている罪悪感と同等のサイズの愛があるということを忘れないでいたいです。

 

愛の視点で見ること。

 

そして、「それって本当かな?」と、自問できる自分で居られること。

 

観察できる視点を持つこと。

 

そしてそして、人は居るだけで誰かの役に立っているということ。

 

そして、笑える自分で居られること。

 

対象となる人との境界線を意識すること。

 

心配で見るのか信頼で見るのか自分で選べることを忘れないこと。

 

背負わなくていい、引き受けなくていいという許可を出し続けること。

 

 

どっぷりハマると、自分に楽しみや喜びさえも与えようとしないのが罪悪感。

罪人ですから、罰を与えようとエゴが囁いてくるから。

受け取ることにもブレーキがかかるんですよね。

 

相手の気持ち(愛)や自分の愛に意識を向けて、相手の気持ち(愛)を受け取れる自分、相手を信頼できる自分でありたいものです。

 

 

 

それでは今日はこの辺で。

読んでいただき、ありがとうございました💛

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

香川シンデレラプロジェクト修了式

◇香川シンデレラプロジェクト修了式◇

 

 

 

 

愛しい皆様こんにちは。

話を聴く専門家の春香です。

 

 

 

先日、予想もしてない展開から、香川シンデレラプロジェクトの修了式に列席させてもらってきました。

 

香川シンデレラプロジェクト

 

輝く女性を応援・サポートするプロジェクト。なりたい自分をめざしてカリキュラムにチャレンジして自分を磨き、誰かと競うのではなく、目指すのは一歩前進した自分。

 

 

チャレンジされた女性たちと男性1人の修了式でのスピーチは、彼女たちを全く知らない私でも、感動して涙腺が緩むくらいでした。

 

指導されてきた講師陣の方たちも、彼女たちを見守る姿に向き合ってこられたことを感じられたり。

 

良い機会を与えてもらったなぁと思います。

 

 

急な参加だったこともあり、初めましての方たちとテーブルを囲み、美味しいランチをいただきました。

 

 

デザートは撮り忘れました~。

 

中盤あたりから同じテーブルの方たちとも笑いを交えながらお話することが出来て、楽しい時間も過ごすことが出来ましたよ。

 

 

声をかけてもらったときに

一瞬、『私が行っていいのかな?』というエゴの声がしましたが、いつもはあまり着ないワンピースを着て、感動的なシーンを見られたり、美味しいランチを食べることが出来て、行って良かったなと思いました。

 

 

シンデレラ5期生の皆さん、修了おめでとうございます。

 

次期の募集からはリニューアルされるみたいなので、それも楽しみです。

 

カリキュラムも私が覚えてるだけでも、メイク、マナー、ウォーキング、カイロプラクティックよもぎ蒸し、ネイル、スキンケア、ヨガ、足つぼ、フラワーアレンジメント。。。多分まだ他にもあるくらい充実してます。

 

香川にお住まいの方に知ってもらいたいプロジェクトです。

 

 

それでは、今日はこの辺で。

読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

【香川・高松市】心と心をつなぐブリッジマルシェに行ってきました。

 

 

 

 

◇マルシェに行ってきました~◇

 

 

 

 

愛しい皆さま、こんにちは。

話を聴く専門家の春香です。

 

 

あっという間に12月となりましたね。

皆さま、風邪等ひかれませんように。

 

 

先日、友人が開催しているマルシェに遊びに行ってきました。

 

 

以前にもブログで紹介させていただいたマルシェ。

障がいのある子たちの実情を認知してもらうため、そして障がいのある子たちそれぞれの得意を活かして収入を得るための活動でもあります。

 

 

私も初めて行ってきたんですが、カフェItoさんの店内で開催されているので、アットホームな雰囲気でゆっくり見ることが出来てよかったです。

 

 

お皿を造っている男の子の作品は猫をモチーフにしていてユニークさや可愛らしさを感じたり、絵を描いて塗り続ける女の子からは丁寧な繊細さ、ハンドメイド作品を並べて売っている女の子からはパワフルさと柔らかさを感じました。

 

 

マルシェの意図に賛同している出展者の中には、日ごろお母さんたちも疲れているだろうからとハンドマッサージを500円で提供していたり。

 

県外からは福祉事業所の方たちも、皆でつくったお菓子やハンドメイド作品を出品されていました。

 

えーと。。。

楽しみすぎて写真を撮るのを忘れてしまいました。

 

全体の写真があったらな~(>_<)

 

 

 

友人のブースで、我が娘がworkshopをさせてもらい、初めてのグルーガンを使いながらミニミニXmasツリーを作りましたよ^^

 

どんぐりに絵を描いて、トトロ風にしていたり。

黒豆に目を描いて、まっくろくろすけ風にしていたり。

友人の芸の細かさに、私は感心しっぱなしでした。

 

 

友人が各ブースを紹介してくれたり、我が娘にこれでもかと他のブースの商品を売り込んできたり(笑)

 

楽しませ上手な友人に感謝です。

 

 

各ブースの方に聞いてみたいことを聞いてみたり、赤ちゃん連れのお母さんとお話させてもらったりと、私もなんだか良い気分転換になりました^^

 

 

行ってよかった^^

ありがとう💛

 

 

 

それでは、今日はこの辺で。

読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

どうしようもない、どうにかしたい寂しさ

◇どうしようもない、どうにかしたい寂しさ◇

 

 

 

 

愛しい皆さま、こんにちは。

あなたのお話を聴く専門家・春香です。

 

 

寒さが増してきましたね。

我が家はコタツを出したので、睡魔に襲われる人が出ています。

 

 

寒さを感じるようになると、温もりが欲しくなりますね。

人肌恋しくなることもあるかもしれません。

 

人は誰でも『寂しさ』を持っているとは思います。

大なり小なり。

 

どうにかしたくなる時も、どうしようもない時もありますよね。

 

誰かに話を聞いてもらいたい。

誰かに甘えたい。

誰かに抱きしめてもらいたい。

 

それが叶って安心したり満たされることもあると思います。

 

楽しいことや嬉しいことで気分転換できることもあります。

 

 

 

その後にも、まだ寂しさを感じるとき。

 

まだまだ満たされなさを感じるとき。

 

強烈な寂しさに襲われるとき。

 

それは、自分との繋がりを忘れてしまっていたり、自分との繋がりが薄くなったり切れているときかもしれません。

 

 

今の自分を否定したり受け入れられないまま、誰かや何かに頼ってみても、満たされるのは短い時間。

 

どれだけ自分が寂しいのか。

 

どうしてそんなに寂しいのか。

 

どうしてこんなに苦しいのか。

 

分かってほしいのは誰なのか。

 

抱きしめてもらいたいのは誰なのか。

 

 

よくよく見ていくと、自分自身だったりします。

 

自分と繋がっていないから寂しい。

 

自分に受け容れてもらえてないから寂しい。

 

自分に理解されてないから寂しい。

 

 

私が強烈に寂しさを感じるとき、誰かや何かを頼ることもあります。

 

他人からの優しさを受け取ることも大事。

 

でもそれでも寂しさが消えないときは、自分が自分を認めてあげられてないから。

 

 

どんな自分も、これが自分なんだと受け入れられてないとき、寂しいもんです。

 

自分は、いつだって自分に愛されたいと思っているから。

 

自分のことを愛したいと思っていても、これが中々難しくもあり、外側に答えを探しに行ってしまっては、正解や方法を見つけようとしてしまいます。

 

 

答えは自分の内側にしか無いのに、探しに行ってしまうものです。

 

 

寂しさを感じるとき、温まってくださいね。

自分を安心させてあげてください。

自分が何を感じているのか、よくよく見てあげてください。

 

感じていることを思考を使って否定しないであげてください。

 

そうかそうかと聴いて見てあげてください。

 

泣きたくなったら泣かせてあげてください。

 

自分で自分の身体をさすったり撫でたり、抱きしめてあげてください。

 

そうやって自分にしてもらうことを望んでいる自分が居ますから。

 

 

 

 

それでは、今日はこの辺で。

読んでいただき、ありがとうございました💛

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ご近所リトリート

◇ご近所リトリート◇

 

 

愛しい皆さま、こんにちは。

話を聴く専門家の春香です。

 

 

小豆島に行って私はどうやら風邪をひいたようで、肩こりと寒さが辛くて、葛根湯を飲んだりこまめに休んだり、温泉で芯から温もったり。

 

自分の調子が悪いとき、あれもこれも出来ないことに目が行ったりしがちですが...

 

自分を追い込むかのようなやり方だと、自分にも周りにも負のエネルギーを多めに撒いちゃうので、自分が少しでも楽になるようにとか、少しでもご機嫌になるように工夫しながら過ごしたいですね。

 

 

久しぶりの風邪に

あ、こりゃ家族の為に動く前に自分の為にだわ!!と、冷静になってしまうくらいでした。

 

家族に優しくするエネルギーが不足している。

私に対する優しさが不足している。

温めてあげなきゃ!!

温泉へGOです。

 

 

翌日には少し回復したのと、とても天気が良かったので、近くの山を登ってみることに。

 

またしても娘を道連れに。

 

10年ぶりくらいの山。

開始早々の息切れと足腰の頼りなさ。

急勾配すぎる箇所ではマイケルジャクソンになれるくらいの身体の傾き加減。

 

7合目あたりで娘との距離ができ始めて、若さって素晴らしい~と、なりました。

 

すれ違う登山客の方たちと交わす挨拶も、ちょっと申し訳ないくらいゼーハー言ってた私。

 

それでも自然の中で見知らぬ人たちと、そこでは当たり前のように挨拶を交わすのが気持ち良かったです。

 

9合目ではもう何て言うか開き直りというか諦めというか...無心になろうとするというか...先に先に進む娘が恨めしいというか...いろんな自分を見ながら足を進めるだけ。

 

頂上に着いたら、ゼーハーゼーハー言いながら景色を見渡し、何も遮るものが無い解放感と、登ることが出来た安堵感と達成感を全身で感じました。

 

すぐ座って休憩しましたけど。

 

 

しばらく頂上を探索したり感じたり

神様に手を合わせたりして、下山。

 

一度通った道でもあり

大変さを味わった道を

達成した自分で降りていくのは

とても穏やかな気持ちでした。

 

娘とも距離が空かない(笑)

 

 

思考・心・身体がゴチャゴチャになるくらいしんどさを伴った登りと

 

その状態を眺めて全て受け入れた下り...

みたいな感じかなぁ。

 

『受け入れる』って大事だな~と身体でも感じられた登山でした。

 

 

そして、やっぱり先ずは自分だなとも改めて感じました。

 

誰かに元気になってほしいとか思うことってあると思うんですが、

元気になってもらいたくてアレコレしたくなるのも勿論優しさ。

 

でも自分のこと以上にその対象となる人に思考内でも実際にでもエネルギー注いでたら、自分のエネルギーは漏れっぱなしになる。

 

先ずは自分を満たしたり整えたり。

そのことによって与えられるものは、エネルギー漏れは起こらないから。

自然と与えたくなるものだから。

 

やっぱり先ずは自分だなと思えた、ご近所リトリートでした。

 

いつもキンキンに冷えてる爪先が、山登り中からポカポカだし、腰やお尻の違和感も緩和されるというオマケつき。

 

ふと思い立ち行ってみてよかったです。

 

 

あなたのご近所にも、意外と良いリフレッシュする場所があるかもですよ~😊

 

 

それでは、今日はこの辺で。

ありがとうございました。

 

 

 

初めての小豆島と、私と、罪悪感

 

 

◇初めての小豆島と、私と、罪悪感◇

 

 

 

愛しい皆さま、こんにちは。

話を聴く専門家の春香です。

 

 

私が住んでいるのは香川県

香川県民になって、もう20年近い。

 

それでも行ったことがない場所が県内あちこちにあります。

 

先日、娘と一緒に小豆島に行ってきました。

フェリーに車を乗せて。

 

 

出発した時には、空には雲がかかり曇天にも見えるけど、お日様が差し込んでくると光が広がり、なんだか神秘的でもありました。

 

1時間ほどで小豆島に到着。

 

女性専用のゾーンの一番前の席に座っていたんですが、目の前の景色をバックに外国人観光客が次から次へとポージングをしながら写真を撮っていた様子が、とても可愛らしくてニコニコしながら見ていた私です。

 

 

義母さんに頼まれていたお買い物を済ませ、お店の人に色々と観光情報を教えてもらったり、道中に食べてねとお菓子をいただいたり^^

 

ありがとうございます~!!しか無い始まり。

 

 

ロープ―ウェイで寒霞渓に登るか、車で行ってしまうか。

とりあえず行ってみようと車で行きましたら、初めての道、どんどん上がっていく勾配、紅葉の木々のトンネルの美しさに魅了されながら運転していたら、あっという間に寒霞渓に到着です。

 

あ、もう着いちゃった。。。というのが感想

 

晴れ渡る空と、海と島。

 

 

着いて思いました。
ロープ―ウェイで登りながら観た方が良かったよね…と。

 

寒霞渓に居るんだけど

寒霞渓を取り巻く景色や紅葉の美しさが見えない。

(全く見えないわけじゃないけど)

 

灯台は暗闇の海を照らす光だけど

灯台自身は自分の光具合が分からない…みたいな👀

(自分の魅力に置き換えてみても自分自身では分からない…みたいな)

 

とりあえず娘と探索して写真を撮ったり、コロッケを食べたり。

私は高所恐怖症なので、柵があるから大丈夫と分かっていても、崖の先端に近づくだけで足がすくんで怖かったです。腰が引きまくり。

 

 

続きましては、樹齢1,600年と言われるシンパクという大樹を見に、宝生院というお寺に行きました。

 

物凄い存在感なのに、優しくそこに居てくれているような雰囲気で。

長い間この場所で生きているその佇まいに、ただただ圧巻されたり、エネルギーをもらったり浄化されたような…という時間でした。

 

ホントに気持ち良くて

居てくれてありがとうと思える時間です。

 

 

 

 

続きましてはオリーブ公園に行き、お腹ペコペコだったので腹ごしらえ。

店内から見える景色が最高で。

パスタもパンも美味しかったのに、写真を撮り忘れました。

(どれだけ食べることに集中していたのか)

 

 

オリーブ公園内にあるジブリを感じさせる可愛らしい建物。

 

ほうきが貸し出しされていて撮影時に使えるようになっていました👀

ご主人が、ほうきを持つ奥さまにポージング指導しながら褒める様子が、最高に癒される瞬間でしたよ。

 

行く先々でご主人が奥さまにポージング指導する場面に出くわし、微笑ましかったです^^

 

ええなぁー仲良しって💖

夫が恋しくなりましたね。

 

 

 

あたり一面オリーブ畑。

ランチの後のデザートもしっかり食べる娘を見ながら、若いって素晴らしいと思いました^^

 

暑すぎず寒すぎず、良い日に行ったなと思います。

 

 

満腹になり運転の疲れも出てきたので、帰りのフェリーを1便早めて帰路につきました。

 

変更可能かどうか聞いてみて良かったです。

快く対応してくださったフェリー会社の方にも感謝が湧き上がりました。

 

 

*****

 

今ね、正直、私、しんどいと感じる状態なんです。

 

日々揺れたりするし、辛くて泣いてしまうことも、嬉しくて泣いてしまうこともあります。

 

思わず独りの世界に向かいたくなることも、あります。

 

これまでのパターンで、罪悪感から背を向けようとしてしまうこと。

 

自分は良くないものである、毒であるという感覚から、自分のことを人から遠ざけることで自分を守ったり、毒であるように感じる自分から他人を遠ざけることで、他人を守ろうとしてきた繰り返してきたパターンが、まだまだ私の中にあるんです。

 

弱っている自分を見られたくない。

良くないと感じる自分を知られたくない。

助けてもらえる資格なんて自分には無い。

だって私は罪人だから。

(親を助けられなかった幸せにできなかったという勘違いからなんですが…どれだけ愛してたんでしょうね。愛しかないのに、愛が無いと思い込んできた私)

 

 

そういった思い込みが、私にあるんですよね。

 

「ある」ということを認めることも、こうやって文章にして表現することも、以前の私には出来ないことでした。

 

隠しておかないといけないことだと思っていたので。

エゴが頭の中で囁くわけです。

「そんな自分を知られたら大変なことになるよ~」

「後ろ指さされるよ~」

「嫌われちゃうよ~やめといた方がいいよ~」

 

そうやって何重にも隠すことで、他人からの愛を受け取ることも、他人に愛を与えることも自分に禁止してきたんだなと改めて見つめています。

 

罪悪感に塗れている自分に✖をつけることでより孤独を感じたり、自分から背を向けて独りになることで自分に罰を与えてきたんだなと。

(ものすごいドМですよね…)

 

 

罪悪感を感じることで、自分が喜びを感じることを禁止するだなんて、ねぇ。。。

とんでもない自分イジメを長年やってきたな~とも感じています。

 

 

もし仮に、今の私が大切な友達だったら、「そんなこと気にせずこっちにおいで!!」って言うだろうに。自分には厳しいんですよね。

 

 

それでも、私に関わろうとしてくれる人たちが居ること。

 

その人たちに背を向けるのか?と問いかける自分が居ること。

 

弱くて格好悪い自分をもう独りにしない選択をしてもいいこと。

 

辛い時には辛いと言っていいこと。

 

心理学を学んで変化してきた私が居ること。

 

受け止めてくれる人が居ること。

 

理解しようと寄り添ってくれる人がいること。

 

励ましてくれる人がいること。

 

人前で泣くなんてカッコ悪いわ!!と斜に構えて感性感覚を切って生きていた私が、人前で泣きながら話を聴いてもらったり、文章でのやり取りで、今とても救われています。

 

正直、怖いです。

見せるのも知られるのも。

直前まで物凄い体感の悪い抵抗を感じますし、背を向けたくもなります。

 

 

でも。

本当は、ずっと助けてもらいたかった私が居るんですよね。

 

周りの様子を見ながら何十年も呑み込んできた言葉や思いが、今、やっと人前で出せるようになってきたのかもしれません。

 

 

子供が困っていれば、どの親もきっと何か力になりたいと思うはずなのに、『自分』だけは違うと除外していたり、『大丈夫』な自分であろうとしてきたのも、子供だった私なりの親への愛情表現だったんだと思います。

 

子供に手を差し伸べることで、新しい気づきや癒しが起きたり、自分と子供は違う人間なんだと確認できたり、一緒に過ごすことや感じること、共に考えること、胸を痛めるくらい子供への愛や罪悪感があること。繋がりを感じること。

 

辛く感じることの中にも沢山のギフトがあるのに、私はそういったものを両親に与えさせてこなかったんだな~とも思いました。(色々としてもらってることはありますけど、弱さを見せる、助けを求めるということはしなかったな…と)

 

家族の誰かに何かが起きると、その問題に見えるようなことに対して力を合わせて乗り切るとか、試行錯誤しながら向き合っていきますよね。

 

 

なんか・・・両親よ・・・ごめん・・・ともなりました。

 

 

もう両親は居ませんが、心の世界には制限がありません。

 

肉体は無くても両親と繋がることは出来るし、私の罪悪感を引き受けてもらうという助けを求めることも出来る。1人でどうにかしようとしなくていいという選択肢があるだけでも感覚が変わります。

 

 

1人で辛いとき、寂しいとき。

誰かに話を聴いてもらいたいと思うとき。

誰かに受け止めてもらいたいと思うとき。

 

ありますよね。

 

それでも1人でどうにかしようとしてきたこと。

 

ありますよね。

 

 

1人では難しい時は誰かにお願いできたらいいのに。

そう思うこともありますよね。

 

助けを求められなかった私が言うのもなんなんですが…人って誰かの役に立ちたい生き物だと思うんです。

 

あなたが頑張ってこられたのも、誰かの役に立ちたかったり、誰かの笑顔を見たかったからではないでしょうか。ね。

 

 

上手くまとめられませんが…

どうか1人で考えすぎないでくださいね。

考えすぎることでも疲弊していきますから。

 

どうかあなたが少しでも安心できますように。

よかったらお話を聴かせてくださいね。

 

 

*****

 

 

気持ちが揺れていても、美しい景色を見て美しいと感じられたり、美味しいものを食べて美味しいサイコーと感じられることにも、なんだか感謝です。

 

ずっと外に向かって『幸せ』や『幸せになる方法』を探してきましたが、実はずっとすぐ傍に私の幸せがあったんだな~今まで何を見ていたんだろう~とも感じる日々です。

 

何気ない日常の1シーンに泣けるという。

 

幸せを感じられること、もの、ひと、こころに繋がって、楽しみたいものです^^

 

 

長くなっちゃいましたが

最後まで読んでいただき、ありがとうございました💛

 

 

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