生きづらさを愛おしさへ

聴く専門家・春香のブログ

メールカウンセリングご感想④

◇メールカウンセリングご感想④

 

 

愛しい皆さま、こんにちは。

カウンセラー春香です。

 

 

今日はメールカウンセリングを受けて

頂いた方からの感想の紹介を^^

 

Yさんは、初めての子育て奮闘中のママ。

赤ちゃん中心の生活で、何もかもが初めてで

大変な中、メールカウンセリングモニターに

申し込んでくださり、凄いな~!と

思いながらカウンセリングをさせて

いただきました。

 

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春香のカウンセリングを受けてみての
ご感想、気づきなどあれば教えて下さい。
 
 
カウンセリングを受ける前と今とでは
受け止め方が変わりました。
カウンセリングを受ける前は嫌だと感じて
いたことが、今はそれほど気になりません。
 
父親の態度は私が抑圧していた感情なんだ、
祖母の気になる部分は私の中にあるもの
なんだと気づき、そのまま感じて感じて
感じていると、意見を押しつける癖がある、
監督している自分に気づきました。
 
自分が嫌っている自分と出会い直した感覚
です。あまり気持ちの良いものではありません
だした。。。苦笑
 
春香さんのおっしゃっていた通り、
どんな感情も〇をつけてあげて、今の自分も
過去の自分も〇をつけてあげて、
つらく悲しい出来事とその時の感情を思い
出したところ、
「その人を見て私が辛く思うことはないし
 その人が感じているものはその人のもの」
と、思えるようになってきました。
 
事前アンケートに回答した悩みは1つ2つ
だったのに、春香さんのカウンセリングを
重ねていくうちに、悩みの裏にあった
今まで辛いと思っていた心が緩んでいく
感覚がしました。
 
また、衝撃だったのは
「自分に課したマイルールは無意識に他人にも
 課している」ということです。
 
「相手を思い通りにするのではなく、
 自分が変わること」
「相手は自分を映す鏡」
この言葉たちを心にしまって、すぐ見られる
ようにしておきたいと思います。
 
 
春香に対する要望・改善点などあれば教えて下さい。
 
返信が必要な内容が色分けしてあって、
とても見やすかったです。
春香さんの文章は、長くても読みやすかった
です。言葉がすっと入ってきます。
 
今回は本当にこのご縁をいただき、嬉しく思い
ます。これからも応援しています!
 
 
~~~~~~
 
 
Yさん、桜が咲き始める季節になりますが
お変わりないでしょうか。
息子くんも元気にお過ごしでしょうか。
 
 
Yさんは嫌っていた自分と出会い直した
ようだと書かれていましたが、
確かに良い気持ちではないですよね。
でも、嫌っていた自分はずっとYさんに
気づいてほしかったのだと思います。
 
 
嫌っていた自分を否定したまま隠そうと
することにエネルギーを注ぐより、
そういう自分も居るんだと受け入れてあげる
ことで、自分の傷みも和らぎますし、
同じような部分を持つ他人にも
ジャッジすることが減っていくので
ストレスも軽減されていくと思います。
 
 
頑張りやさんで繊細で感受性の強いYさん。
反対されてもYさんの意思を貫いて決めた
相手であるご主人と、息子くんと一緒に
これから年々家族になっていきますね^^
 
 
Yさんの感じる幸せを大切にして下さい。
Yさんの感じる喜びを大切にしてください。
Yさんの笑顔が家族も嬉しいのです。
 
睡眠も大切に^^
応援しています。
 
ありがとうございました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

循環する優しさ

◇循環する優しさ

 

 

愛しい皆さま、こんにちは。

カウンセラー春香です。

私についてはこちらをどうぞ。

 

 

気がつけば、もうすぐ春休みです。

長女が午前授業になり、弁当作りから

解放されてヒャッホーヽ(^o^)丿と

なっています。

今年の4分の1が終わるんですね。

早いですね~。

 

 

ココロの世界に興味を持った人なら、

聞いたことがあるとは思いますが…。

『両親から与えられたものは何ですか?』

という質問。

 

 

人によって答えは違うと思います。

 

 

私は思考優位な時は、

・衣食住

・教育

・経験

というような答えでした。

 

 

今の私は両親に与えられたもののうちの

1つに『優しさ』があると思っています。

優しさと表現していますが、

『思いやり』とも表現出来るかな。

 

その『優しさ』は両親から直接受け取って

はないんです。

 

 

どういうこと?

 

 

両親が誰かに対して『優しさ』『思いやり』

を与えて、その与えられた人たちから私が

『優しさ』『思いやり』を受け取る。

 

 

両親のお店を手伝っていた時からそれは

感じてはいましたが、当時の私には

自分のつけている仮面を強化する要因にも

なっていました。

誰かが両親に感謝する分、その両親の娘として

恥かしくないようにといういい子仮面。

しっかり者仮面、愛想良くあれ仮面。

両親のようにならなければ仮面。

毎日が仮面舞踏会。

 

 

そんな仮面だらけの私にお酒を飲む楽しさを

教えてくれた女性がいます。

当時両親のお店で働いてくれていたお姉さん。

私も4年くらい一緒に働いたんですが、

まあ男前で、フランクで、お酒が強くて

明るくて、頼りがいのあるお姉さんです。

そして情が深い。

 

 

私が結婚した後にお姉さんも結婚し、

両親のお店で働いてなくても、

両親のお店がなくなっても、

時折両親のもとを訪れてくれたり、

私が帰省すれば会いに来てくれたり。

 

 

気がつけば、いつも助けてくれる人。

 

 

父の葬儀後に実家の片付けをしていると

お姉さんはふらっと現れて手伝って

くれました。弔問客の対応も一緒に。

 

 

父の部屋を一緒に片付けながらお互いの

近況や父に関する話をしていたんですが、

母亡き後の父についてお姉さんが

 

「お父さんの飲みっぷりは見てて

 腹が立ったし悔しかった。」

「しっかりしてよ~って何度か言った。」

 

 

父は傷だらけだったので、

見ている側もジクジク傷みます。

 

 

「お父さんに涙目でタバコ代貸してくれ

 って言われたんよ、そう言えば!」

と、話してくれて、一瞬また父に対して

怒りを覚えつつもその後の展開を聞くと

 

 

「買ってきてっていう頼み事なら聞く

 けど、貸すのは断る。貸すのは嫌。」

と、断った話を聞いて

 

「貸さないでくれてありがとう!」

と、咄嗟に私は伝えていました。

 

 

「断ってくれて嬉しい。」

「線引きが出来てて凄い。」

「断る勇気が素晴らしい。」

「自分の考えが言えて格好いい。」

次から次へと私の口から出てきます。

 

 

お姉さんは貸すのは違うと思っただけ

らしいですが、私からしたら神対応

 

 

少しの時間だけ父に対する怒りで2人で

熱くなり片付けに燃えまくった結果、

片付けが予想以上に進み、

 

「人の家やなくて自分の家片付けたい!」

と、2人で吠えて片付けは終了となりました。

 

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お姉さんと2人でコーヒーを飲みながら、

「どうしてこんなに助けてくれるの?」

と聞いてみたところ

 

「お父さんとお母さんに助けてもらったから」

との返事。

 

色んな条件や仮面を自分に付けていた私なら、

素直に受け入れられなかったと思います。

 

 

お姉さんと実家を引き払うことについて話して

いると、

「実家が無くなるのがこんなに寂しく感じる

 とは思ってなかった。」

と、私は泣きながら言ってました。

 

お姉さんは目と鼻を赤くしながら

「私は義実家住まいだから、私の実家に

 帰ってきたらいい。おかんもOK言いよる。」

 

お姉さんのお母さんも情が深く元気な人。

海の傍に住んでいて、子連れで遊びに

行った際、至れり尽くせりで

お母さんが居ないと思ったら海に潜っていて

とってきた貝をすぐに茹でて出してくれる。

生命力が半端ないです。

 

父の葬儀の際にも

「いつでも遊びにおいで。」と

言ってくれたお母さん。

 

 

ただただ、ありがたいなと思いました。

いい子仮面を付けていようといまいと

両親の娘であるだけで大切にして

もらえること。

 

両親の優しさや思いやりが他人を介して

私のところにやってくること。

 

等身大の私で受け取ればいい。

そして、私が受け取ったものを

私が誰かに回していく。

そんな流れを大事にしていきたいです。

 

 

あなたのもとにやってくる優しさ。

気づいてますか?受け取っていますか?

 

私なんて。

私が○○したから?

お返ししなきゃ。

なんだか申し訳ない。

 

そんなことは考えず

『ありがたいな』『嬉しいな』と

味わってみて下さいね。

 

『あなただから』という理由で

あなたのもとに届く優しさがあります。

 

 

以上、今日はここまで。

読んでいただき、ありがとうございました(@^^)/~~~

 

 

 

怒りと汚れと罪悪感と

◇怒りと汚れと罪悪感と

 

 

愛しい皆さま、こんにちは。

カウンセラー春香です。

私についてはこちらをどうぞ。 

 

 

父の葬儀後、私は家族と離れて実家に二泊

したんですけど、本気で掃除をしてきました。

私は決して綺麗好きとか潔癖症では

ありませんし自宅では手抜きしてます。

 

 

父は自分が汚したことにも気づかない人だし、

兄は働いているので毎日掃除する余裕もない。

男二人だとしょうがないんだろうと思いつつ、

父がタバコで焦がしまくった床とか、

父が汚しまくった台所やトイレを見ると、

お得意のイライラが私を駆り立てます(^-^;

 

 

なぜかお風呂場だけ綺麗なのが疑問でしたが、

父がお風呂場で亡くなり警察に引き取られ、

兄はすぐにお風呂の掃除をしたということで

納得。そのままには出来ないよね。

私はお塩と清酒で清めました。

 

 

弔問客が実家にも来るだろうと思い、

ある程度は綺麗にしておこうと掃除を

始めたら止まらないwww

 

 

こんなに汚した父に対する怒り、

しつこい汚れに対する怒り、

負のエネルギーをまき散らす汚れに

対する怒り。

 

メラメラ燃えて捗るも、止まらないし

嫌な気分になってきます"(-""-)"

 

自宅で例えるなら機嫌悪い状態でお皿を

ガッチャンガッチャン割れそうな勢いで

洗っている感じです。

私の体から不機嫌オーラが放たれている状態。

きっと体臭の種類も「不機嫌」。

 

 

怒りに呑み込まれてることに気づいた時、

「何の為に掃除をするか考えてみたら?」

と、頭の中で声がしました。

 

「どうやったら気分良く掃除出来るかな?」

また、頭の中で声がする。

 

 

そんな時に兄が近づいてきて、

「そんなに頑張らんでもいいんやない?」

と、言ってくれたんですね。

 

 

「分かっちゃいるけど止まらない状態。」

と、答えつつも考えていると…

 

 

『兄が気持ち良く暮らせるように。』

そう自分の中から出てきたので、

「それいい!そうしよう!」となり、

そこから気持ちを切り替えて

気分よく掃除するようになれました。

 

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でも掃除しながら、少しずつアレが顔を

出してきます。ええ、アレです。

それは【罪悪感】。

 

 

私がもっと帰省して掃除していたら…

兄はこんな環境で生活してたのか…

父はどんな状態だったんだろう…

家中がどんよりしてる…

 

 

罪悪感を感じながらも、音楽を流したり

コーヒーを飲んだりしながら

掃除を続けていました。

明らかな汚れって、綺麗になった時の

喜びが感じられるのはいいですよね。

 

 

「お兄ちゃん、見てー!」

と、綺麗になったよアピールをしていると

私の罪悪感は溢れ出しました。

 

 

「お父さんの愛情を感じていたけど

 私は応えられなかった。」

「お父さんが私を見る目には、私を可愛く

 思う気持ちがあっただろうけど、

    私はお父さんに対して体が固まるくらい

 拒否反応が出てた。」

「お母さんの時とは悲しみが全然違う。」

 

 

気が付いたら私は雑巾を握りしめたまま

泣いていました。

 

 

壁にもたれながら兄は、

ちょっと困ったような笑ってるような顔で

 

「しょうがないわい。

 無理なものは無理やし。

 良い思い出もあるわけやし。

 俺だってお母さんの時とは違うよ。

 差があって当然やない?」

 

 

兄の言葉を聞き終えて、

吐き出してちょっと楽になった私は

 

 

「良い思い出はチョットしかないけどね。

 これだけしかないんやけん!」

と、両手を使って良い思い出の量を

表現してました。←子供です。意地っ張りです。

 

 

掃除がひと段落して、兄と香典返しの相談。

母の時のように私が担当することに。

母の時は、3~4行の短い手紙をそれぞれの

人に書いて同封していたんですね。

 

  

私からの手紙の話をする人がいたことを

兄から聞いたり、父の葬儀の時にも

あの手紙大事に取ってあると私自身が

言われたこともあり、父の香典返しでも

書いたほうがいいのかな~

母の時の人数に比べたら少ないし~

と思いつつも気持ちが乗らない…。

 

 

母の時にはしたのに父の時にはしない。

差があってもしょうがない。

差があることに対する罪悪感…。

平等にしたいのか、

平等でなければいけない縛りなのか。

 

 

あぁぁぁぁ"(-""-)"となっていると兄が、

「差があって当然。しょうがない。」

 

 

「うん。そうよね。」

と、答えた私。

 

 

結局どうしたと思いますか?

一応便箋セットは準備したんですけど、

書く気にならないし、

自分のケアを最優先にしたので

誰にも手紙を書きませんでした。

 

 

母が亡くなった時は自分を後回しにして、

父の用事をしに日帰りで何度か帰省したり、

香典返しに添える手紙を書きまくり、

どうなったかというと。。。

腰痛&坐骨神経痛で片足を引きずる結果に

なりました(T_T)2カ月間…。

でも喜んでもらえたので相殺ということで。

 あの時の私はそうしたかったんだから。

 

皆さんも、ご自分のケアを忘れずに♡

痛い目に遭うかもよ⁉(*´з`)

 

 

罪悪感って自分が感じているんですけど

感じたくなくて無理やり無くすことは

出来ないし、かと言って感じ続けるのも

良い気分では無いですよね。

 

罪悪感を感じる対象に対する思いが

あったり、自分自身を罪人だと勘違いして

いることもあります。

 

口から言葉にして誰かに聞いてもらう

だけでも体感が変わると思います。

 

思い過ごしや勘違いに気づいたり

聞いてもらって受け止めてもらうことで

許されてる体感を得られたり、

新しい捉え方を知ることが出来たり

自分の中の愛や自分が与えてきたものにも

気づくことが出来たりします。

 

 

だから一人で抱えこまないことを

お勧めします^^

 

 

今日はこの辺で。 

読んでいただき、ありがとうございました(@^^)/~~~ 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私のココロを映し出すもの

◇私のココロを映し出すもの

 

 

愛しい皆さま、こんにちは。

カウンセラー春香です。

私についてはこちらをどうぞ。

 

 

桜の開花が始まったところもあるよう

ですが、皆さんのお住いの地域はどう

でしょうか?

 

私のところはまだですが、家の近くの

桜を楽しみに見守っています^^

 

 

生きていれば日々大なり小なりありますが

その時々の自分のココロ模様が、目の前の

世界に映し出されますよね。

 

 

【父の遺影】が、とても分かりやすく

私のココロを映し出してくれたので、

その話を書こうと思います。

 

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父の遺影に選んだ写真はニヤリ顔の写真。

 

 

葬儀後に父の後輩さんたちが実家に弔問に

来てくれた時、とある忘年会で父から

二次会に来いと連絡をもらった後輩さんが

「僕ね、お父さんから誘い受けたのにね、

 行かなかったんよね~テヘペロ♡」

そんな笑い話を聞いているときは、

父のニヤリ顔の遺影が微笑ましく見えたり

可愛い後輩の話を父も笑いながら聞いて

いるように見えたり、

 

 

兄が仕事に行っている間、父が兄の部屋を

毎日のように物色していたという話を聞けば

「あのクソじじい!出てこい!」

と、ニヤリ顔の遺影がますます腹ただしく感じ、

 

 

父の部屋のノートに父の読みづらい字で

書きつらねられていた父の友人たちの名前を

見れば、どれだけ寂しかったんだろうと

ニヤリ顔の遺影が少し悲し気に見えたり、

 

 

父がお金を使い切ってから

「タバコ代貸してくれ」と友人知人に

声をかけていた話を聞いたり、

兄の友人にも借りに行っていたことを知れば

「あのヤロウ。。。」

と、父のニヤケ顔の遺影に殺意が湧いたり、

 

 

父が汚したままの哀れな台所を掃除しながら

自分の好き勝手に生きてきたように見えた

父が、1人では何も出来ないことを改めて

感じたり、バレているのに子供である私や

兄には隠そうとしていたことを思えば

父のニヤケ顔の遺影に

「家族って何なんやろうね?」

と、問いかけてみたり

 

 

きっと子どもの頃から家族に対して

父も本音を言えなかったんだろうと思うと

父のニヤケ顔の遺影に

「みんな不器用家族よね」

と、話しかけてみたり。

 

 

たった数日の間でしたがその時々で、

私の感情によって父の遺影の見え方が

変わっていました。

 

 

父のニヤリ顔の遺影はただ置かれているだけ。

 

 

その遺影を見て何を感じるのかは

私の反応なだけなんですけどね^^

 

 

今日、あなたは何を見て

どんな感情を感じましたか?

 

 

読んでいただき、ありがとうございました(@^^)/~~~

 

 

 

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父の葬儀③

◇父の葬儀③

 

 

愛しい皆さま、こんにちは。

カウンセラー春香です。

私についてはこちらをどうぞ。

 

 

連日の日記にお付き合いくださり、

ありがとうございます^^

父の葬儀編、今回で終わります。

 

父が亡くなった日  

父との対面①

父との対面②

父の通夜①父の謎解き最終章

父の通夜②あなたのやらかしが誰かを癒す⁉

父の葬儀①

父の葬儀②

 

 

火葬場に着くと、職員の方に案内され

火葬と骨上げの説明を受けます。

 

父の棺桶が運ばれてセッティングされてる

間に、兄が私に聞いてきました。

 

 

「一緒にスイッチ押す?」

 

 

この時、私は心の中で

【火葬スイッチは喪主が押すもの】という

思い込みがあったので衝撃を受けました。

 

 

私「え?いいの?二人で押していいの?」

兄「いいんやないかね?どうする?」

 

 

私「一緒にとどめを刺すのね?」

兄…のけぞって笑ってました^^

 

 

兄と横並びになり、ひとさし指も並べて

私の「せーの!」という掛け声で

スイッチを押し、火葬が終わるまで

待つことになりました。

 

骨上げが出来る状態になるまでの待ち時間が

異様に長く感じるのは私だけでしょうか。

 

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最後まで付き合ってくれた方たちに

コーヒーをふるまったりお菓子を配ったり。

 

日当たりが良すぎて暖かくて

眠たくなったり…。

つまらなそうな子供たちを夫と

眺めたり…。

誰かと近況報告をしあったり。

 

そんなこんなしている間に

父が骨になり(表現が思いつかない)

骨上げをするために集まります。

親族、同級生、友人たちの手によって

父の骨は骨壺の中に納まっていきます。

180㎝近くあった父が骨になると、

とても小さく感じたのですが、

そう感じたのは私だけでした。

 

 

葬儀関連の仕事をしている友人が言って

いたのですが、

火葬する前に思いがこみ上げる人と

火葬された後に思いがこみ上げる人に

別れるそうです。

(あくまで友人調べ)

 

私は火葬前タイプ。

姿形がある状態がもう二度と見ることが

出来ないからです。

 

 

無言の骨上げが終わり、 

兄がまた挨拶をし皆さんにお礼を伝え、

皆さんを見送り、ようやく終了です。

 

 

長いようで短い、

色んな感情やお話を聞かせてもらい、

沢山の人と言葉を交わした

穏やかな葬儀だったと思います。

恐らく父にとっては

物足りないだろうし

アイツが来てない!とか

言いかねないとも思います。

 

しょうがないのよ、コロナだし。

父から離れた人も居るだろうし。

皆、自由に選べるんだから。

 

 

それでも、一番言われた言葉は

「お父さんに助けてもらったんよ。」

「お父さんに良くしてもらったんよ。」

この言葉たちだったと思います。

 

 

 

 

とりあえず、父の葬儀編終わりです。

読んでいただき、ありがとうございました^^

 

 

 

 

父の葬儀②

◇父の葬儀②

 

 

愛しい皆さま、こんにちは。

カウンセラー春香です。

私についてはこちらをどうぞ。

 

前回の葬儀①からの続きです。

 

 父が亡くなった日 

父との対面①

父との対面②

父の通夜①父の謎解き最終章

父の通夜②あなたのやらかしが誰かを癒す!?

父の葬儀①

 

 

 

父は生前から、俺が死んだときは

葬儀委員長は○○、弔辞は○○と

誰に頼むか決めていました。

 

家族葬になったので、弔辞も無くなると

私は勝手に思っていたのですが、

父が弔辞を託していたおっちゃんが

手紙を棺桶に入れてほしいと持参して

くれたんです。

 

 

兄と相談して、

「おっちゃんに読んでほしい。

おっちゃんに読んでもらうのを父も

楽しみにしてると思うし、俺たち兄妹も

おっちゃんに読んでもらいたいと思ってる。

お願い出来ませんか?」

そう兄から伝えてもらいました。

 

そうして、そのおっちゃんは弔辞を

読んでくれることになりました。

 

 

葬儀が始まり、場が静まります。

お坊さんがお経を唱えている間、

父の遺影を見つめていましたが、

やっぱり複雑な気持ちでした。

怒りも悲しみも寂しさもあるし、

父が亡くなったことで感じる

これで終わるんだという安心感。

 

読経の合間におりんの音も場内に

鳴り響きます。

50㎝はありそうなおりんの音は、

体の前面から皮膚、骨、臓器、

細胞を震わせながら通過しては

また前面から何度かやって来ました。

 

色んなことを考えていると、

あっという間に弔辞の番に。

 

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おっちゃんはゆっくりとした口調で

弔辞を読み上げていきます。

このおっちゃんが父の高校の同級生と

いうことは、私が短大生の頃から

知っていました。

 

おっちゃんは高校入学と共に地元を離れ、

誰も知り合いも居ない不安な中、

父と出会い、父に救われたそうです。

 

沢山友達ができて、生涯の友と言える

親友たちも出来たそう。

高校時代、貧乏大学生時代、大人に

なっても繋がり続けてきた親友。

父の存在は、そのおっちゃんにとって

光だったそうです。それなのに、

父の寂しさを埋めてあげられなくて

申し訳なかった、ごめん。

 

おっちゃんは弔辞で父に謝っていました。

他人が他人の寂しさを埋めることは

出来ないと分かっていても謝る。

男同士ってやつなんだろうし、

おっちゃんの懐の深さがより伝わります。

 

 

私の娘はこのおっちゃんの弔辞で

泣いたそうです。

娘も誰も知り合いが居ない状態で高校に

入学したので、響いたものが

あったんでしょうね。

 

弔辞が終わり、参列者がそれぞれ

棺桶の中で眠る父に、お花を添えてくれます。

 

その場に居る全員が終わった時、

葬儀場の方がなぜか私に

「最後に入れたい花は無いですか?」

と、聞いてくれたんです。

 

思い浮かんだ花が祭壇にあるか確認し、

「かすみ草を。」

と、お願いした瞬間、

場が緩んだように感じました。

 

 

母の名が入ってる花。

父が好きだった花。

私なりの父への最後の気遣い。

 

 

兄が喪主として挨拶をする姿も

とても立派でした。感謝しかない。

 

お気づきとは思いますが、

私はブラコンです^^

 

  

父を霊柩車に運ぶ際、夫・長男・次男も

棺桶に手を添えます。

 

焼き場に向かい始めた時、

あれ?こっちから行くと遠回りだよ?と

感じたけれど、その道を通る理由が

すぐ分かりました。

 

父と母の店があった場所の前を

通ってくれたんですね。

葬儀場の社長も父の仲間です。

 

 

続きます。

 

父の葬儀①

◇父の葬儀

 

 

愛しい皆さま、こんにちは。

カウンセラー春香です。

私についてはこちらをどうぞ。

 

 

私の日記にお付き合いくださり

ありがとうございます^^

父が亡くなった日  

父との対面①

父との対面②  

父の通夜①

父の通夜②あなたのやらかしが誰かを癒す⁉

 

今回は、父の葬儀。

 

 

葬儀が午前中だったので、朝から

ちょっとバタバタしていました。

 

葬儀の段取り、終わってから焼き場に

向かうまでの流れ、香典をどうするか。

そんな話し合いをしている最中にも

弔問に来てくれる人が居て対応をする。

 

家族葬という体で葬儀をするけど、

父とお別れをしたい人はきっと来る。

椅子が足りるか心配ばかりして

いましたが、さすがプロ。

通夜の時より座席数を増やしてくれて、

結果的にピッタリでした。

 

そして、父の友人たちも凄い。

母の葬儀の時もそうでしたが、

受付をするために早く来てくれます。

まるで自分の仕事の様に。

ちなみに父が誰かの通夜葬儀に参列する

時は、下足番だったそう。夏も冬も。

 

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私と兄も母の時と同様、入り口に立ち

来てくれた方に挨拶をし言葉を交わす。

 

 

兄は自宅から母の遺影を持参して、

入口にある父の写真の横に飾りました。

「これでいいやろう?」

兄なりの父への気遣い^^

 

 

母の時と違って、

香典を私に渡すように言う人も居ないし

「親父に金を渡すな」

「お金はお前が守れよ」

と私の耳元で囁く人も居ない。

 

 

そう言った人たちは、

母を助けたかった人だったり、

母に恩を感じていた人だったり、

父を良く思っていない人たちだったり、

父が迷惑をかけた相手だったのかも

しれないと思います。

 

そして、私がそう言わせていたような

気もします。

自己重要感(自分を大切な存在だと思う)

が低かった私は、

「必要とされるため」に頑張ったり、

我慢したりいい子で居ようとしていたし

父を悪者にすることで、怒りのエネルギー

をメラメラ燃やして行動力をUPさせて

いたので。

 

 

でも、母の時とは雰囲気が違い、

とても穏やかな感じで斎場が包まれてました。

 

 

父の友人・仲間・同級生が来てくれます。

父の高校の同級生の期は団結力が強く、

同窓会だけでなく修学旅行もする期で、

学ランやセーラー服を着てました。

父の遺影も学ラン姿です(笑)

初老の学ラン。

 

 

「親父はやりっきたわい。」

「寂しくなるね。」

「良くしてもらったんよ。」

「信じられない。この前会ったのに…」

「最後に会ったのは…」

「お父さんとお母さんの店は青春だった」

「助けてもらったんよ。」

 

 

皆さん、それぞれの思いが言葉になって

出てきます。私はただ受け止めるだけ。

 

 

「おばちゃーん^^」と、手を振りながら

迎えるとおばちゃんが泣き出したり、

 

 

春ちゃん、すまん。俺は友達がいの

 無い男やった。お父さんが寂しいのに

 俺は会いに行ってなかった。」

 と、泣きながら私に謝るおっちゃんが居たり。

 

 

うんうんと頷き、受け止めながら

こんなに思ってくれる人たちが居るのに

父の寂しさは埋まることはなかったんだろうと

私は思ったり、

皆その場での感情の吐き出しが上手だなと

思っていました(^-^;

こみ上げてくるんでしょうね。

私はまだ親しい友人を亡くす経験をして

いないので、その時はきっと思いも

後悔も溢れるんだろうと思います。

 

 

そんな時、1人のおっちゃんに呼ばれました。

 

 

「思い出したぞ!お父さんとのエピソード!」

 

 

そのおっちゃんは、父との忘れられない

エピソードがあれば教えてほしいという

私のお願いを覚えてくれていたんです。

自分だって60年以上付き合った友人が

亡くなって辛いのに、

私に応えようとしてくれてるのが嬉しくて

男性ってやっぱり優しい!

しっかり受け取ろう!と思いました。

 

 

そのおっちゃんは葬儀場から見える鉄塔を

指さし、父とのエピソードを教えてくれました。

父たちの青春、父のヒーロー願望、

父たちの純粋さが分かるエピソードでしたが

オチがあって笑えました^^

 

 

父の光の部分を知りたい。

良い思い出もあるんです。

スナックのお客さんや父の仲間

から聞いた父の武勇伝もある。

 

でも私には、父の影の部分や

影に呑み込まれて闇になっている姿が

強烈に残っています。

私は体に拒否反応が出ていたくらいです。

 

父の光の部分を知りたい。

その願いが父への弔辞で叶います。

 

 

続きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

父の通夜②あなたのやらかしが誰かを癒す⁉

◇父の通夜②あなたのやらかしが誰かを癒す⁉

 

 

愛しい皆さま、こんにちは。

カウンセラー春香です。

私についてはこちらをどうぞ。 

 

今回は通夜の続きです。

前回までの記事はこちら↓↓↓ 

父が亡くなった日  

父との対面①  

父との対面②

父の通夜①父の謎解き最終章

 

通夜の時間は決まっていますが、

コロナのこともあり集会を避けるためで

あったり、それぞれの都合の良い時間も

あったりで通夜の時間以外にも

弔問に訪れる人たちが居ました。

 

 

兄が私を呼ぶ声が聞こえたので、

「はいはーい!」と走っていくと、

兄の古くからの友人たちが父の弔問に

来てくれていました。

 

 

そのうちの一人が、

なんだか申し訳ないような

どう声をかけていいか分からない様子で

「こういう時しか会えんけど…」

と、話しかけてくれたんですね。

 

 

私は、その兄の友人に

「ずっとお礼を直接言いたかったから

 会えて良かった~!」

と伝えたんです。

 

 

その兄の友人は、母の葬儀にも参列して

くれていたんですが、母の葬儀の最後に

親族のみもう一回焼香できるという

アナウンスがされた時、親族にまざって

兄の友人も焼香していたんです^^

親族以外は、その兄の友人のみ。

 

 

親族じゃないやないかーい!(>_<)

 

 

それに気づいた私は笑いをこらえながら

隣に座る兄に伝えると、兄も笑いを

こらえだし、たった2~3分の間でしたが

「始終泣きっぱなしの母の葬儀」から

「笑いをこらえる母の葬儀」に変わったんです。

悲しみを感じない瞬間を

兄の友人に与えてもらったという感じです。

 

 

そのことを兄の友人に説明していると

聞いてる兄も思い出して笑う^^

 

 

兄の友人は、

「俺、時々やらかすんよね。。。」

と、言っていましたが、

 

 

「私は助けられたよ、そのやらかしに!

 悲しみが吹っ飛んだから助かったよ!」

と、私が伝えると兄の友人は笑っていました。

 

 

そして、この日から約2週間後に

兄弟子であるユーリ・マッコイ先輩の講座で

私はやらかします(;´Д`)

 

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私の友人たちも時間を作って

来てくれました^^

 

 

20年前かな?

私が母の入院中のお世話だったり、

実家のスナックを背負っていた頃、

私の友人二人が見るに見かねてか、

私の父に意見したことがあります。

 

 

「なんで春香ばかり頑張らんといかんの?

 おっちゃんとお兄ちゃんは何もして

 ないやないっ!!」

 

 

紛れも無く友人たちも自立系の男前女子。

鼻息荒く、実家のスナックのカウンター

越しに,父にガルガル唸り声をあげます。

 

 

父は娘の友達が、娘の為に父である自分に

意見してくるのが嬉しいからニコニコ顔です。

 

その父の表情がまた友人たちを駆り立て、

イラつかせます(^-^;

 

 

「アイツ(春香)は今、いい女になる修行中」

 

父がそう言うと、

 

 

私の友人たちは声を益々大きくして牙をむき

 

 

「はああ⁉おっちゃん何言いよん⁉<`ヘ´>

 おっちゃんは何もしてないやない!!」

 

 

そして益々、父を喜ばせてしまう。。。

そして友人たちはイライラが止まらない。。。

 

 

友人たちとその後飲みに行き、

「春香の親って分かっとるけど、

 バカに付ける薬は無い!!

 腹立つわーーーー!!」と怒り心頭でしたが

私はその様子を有難いな~とも思ったし、

父に対する怒りは自分だけじゃないのが

嬉しかったです^^

 

 

そんな友人たちは、

「お父さん穏やかな顔しとってよかったね。」

と、言ってくれました。

 

 

友人たちとも、私が県外に嫁いだことや

みんな子持ち主婦であり、働く女性であり、

子供が大きくなって行事や習い事が増えたりで

年々会う機会も減っていったんですよね。

 

私が疎外感を感じて、勝手に距離を置いたこと

もありました。

 

それでもまた、不思議と繋がるんだなと

感じています。

 

父が亡くなったことで、友人が別の友人たちに

連絡を回してくれて、メッセージや手紙が

届いたりして、皆の優しさを受け取らせて

もらいました。

 

 

まだまだ続きます。

お付きあいくださり、ありがとうございます^^

 

 

 

 

 

 

 

 

 

父の通夜①父の謎解き最終章

◇父の通夜①父の謎解き最終章

 

 

愛しい皆さま、こんにちは。

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私についてはこちらをどうぞ。 

 

今回は父の通夜について。

父が亡くなった日

父との対面①

父との対面②

 

 

一夜明け、斎場スタッフとの打ち合わせ、

兄とあれやこれやと相談していると

遠方から叔母さん(父の姉)が来てくれました。

 

叔母さんも父の穏やかな顔を見ながら、

「良い顔しとる。」

「天国行っとるはずよ^^」

安心と寂しさを滲ませていました。

 

 

この叔母さんもとても愛情深い人。

母の通夜葬儀にも来てくれていて、

父の不安定な言動を見ながら

「私が地元に居れば…私が帰ってきたら…」

と罪の意識を感じて、

泣いてしまうくらい優しい女性です。

 

 

 

私は、叔母さんに聞きたいことがありました。

私は父方の祖父のことを詳しく知りません。

父や叔母さんたち兄弟が両親のどういった

夫婦関係のもとで育ち、

どういう兄弟関係だったのか。

最後の父の謎解きとでも言いましょうか。

叔母さんから聞きたかったんです。

 

父は自分の父親の話や、自分の兄の話をするとき、

涙ぐむことが多かったし、綺麗な面というか

上辺しか話さない。

なんでなんだろうとずっと疑問だったし、

違和感しか感じなかったんです。

父は4人兄弟ですが、兄弟間(男同士)で

会話するところを、私が子供の頃から

ほぼ見たことが無かったし、

父が墓守なのに、祖父が眠るお墓を大事に

しているようには見えない。

 

 

「教えてほしい。」

そうお願いすると叔母さんは快諾してくれて、

沢山話してくれました。

気になった点も質問させてもらい、

私が知らなかったことを知ることが出来ました。

 

 

祖父の代からの跡継ぎ問題(戦争が絡む)、

住み込みの社員や女中が常に一緒で

家庭的ではなく、家族だけでなく

社員や女中のお世話に忙しい祖母が

祖父から暴力を受けていたこと、

仕事は真面目な祖父にお酒の問題があり、

飲みつぶれると祖母や父たちが

リヤカーに乗せて自宅まで連れ帰っていたこと、

長兄からの暴力があったこと。。。

父だけ小児結核になり命の危険があった分、

兄弟の中で父が一番両親に可愛がられたこと。

 

 

あーーー。

感受性の強い父には

厳しすぎる環境だったろうと思ったし、

跡継ぎ問題は父たちの代でもあったので、

余計に絡まっていったんだろうと思います。

 

 

叔母さんが、

「お父ちゃんの姿を見て、お酒は敵や!と

兄弟みんなで言いよったのに、私以外の

兄弟3人は皆お酒に溺れてしもうたねぇ。」

 

 

お母ちゃんが苦労ばかりしてるように

見えた分、兄弟は深く傷ついたんだろうし

お父ちゃんのようにはなりたくないと強く

思ったんだろうし、お父ちゃんのことを心底

大嫌いにもなれなかったんだろうと思います。

 

 

お母ちゃんに甘えられなかった未完了の思い、

お父ちゃんお母ちゃんを助けられない罪悪感、

お父ちゃんを憎いと思う自分を責めたり、

お父ちゃんを憎いと思う気持ちを抑圧したり、

お父ちゃんのようになってはいけないと

禁止すればするほど、お父ちゃんのように

なってしまう自分を否定したり。。。

 

 

父が兄弟の中で一番可愛がられたことで、

父は兄弟に対する罪悪感もあったかもしれないし、

父が小児結核が原因で大切に扱われたことで、

弱い自分であれば愛されるというパターンを

父は持っていたのかもしれないし、

自分が一番に可愛がられることで、自己愛が

肥大したのかもしれない。

(あくまでも私個人の推測です)

 

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最終的なオチとしては、

「父は結婚していはいけない人だった」

という意見が多数でした。

その場に居た皆で明るく笑いながらね^^

 

2~3年前は私もそう思ってたんですよね。

でもね、しょうがない。

 

そんなオトコに対して、

「私が傍に居ないと!」と思ったオンナが

居たんですから。ええ、母です。

 

オトコの父親に、

「息子と結婚するのは止めたほうがいい」

と言われても、結婚するオンナが

居たんですから。ええ、母です。

 

 

叔母さんのおかげで

最後の謎解きが終わってスッキリした頃

夫と子供たちが到着。

 

通夜に参列するため、

皆で礼服に着替えていると夫が、

「靴下が入らない」

と、悪戦苦闘しています。

 

なんで?と思いながら靴下を見ると

夫が一生懸命穿こうとしていた靴下は

末っ子のものでした^^

 

犯人は私です(^-^;

洗濯物を片付ける際にポイポイとそれぞれの

引き出しに適当に投げ込んだ結果ですね~。

 

ごめんね~面白いからもう一回見たい~♡

と夫にお願いすると、やって見せてくれたので

可愛くて爆笑しました^^

 

そして私は太りすぎて

礼服のチャックを自力で上げられない(T_T)

他力で上げてもらいました。

 

 

実は。。。

通夜自体の記憶がすっぽ抜けています。

通夜が執り行われた以外の時間が濃厚だったので

忘れちゃったようです。

 

 

続きます。

 

 

 

 

 

 

 

父との対面②

◇父との対面②

 

 

愛しい皆さま、こんにちは。

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父が亡くなった日のことは、こちら

父との対面①は、こちら

 

 

父との対面から数時間後、

ようやく兄と二人の時間になり、

今日は二人で斎場にお泊り。

 

遅くなった晩御飯は親戚からの

おでんの差し入れと、私の実家のスナックで

バイトしていたお姉さんからの巻きずしでした。

ありがたい。

 

兄から最近の父の様子を聞いたり、

兄の状況を聞いたり。

 

 

母が私に残したがっていたお金を自分の

ものにした父は、浴びるようにお酒を

飲み歩き、1年弱でお金を使いきりました。

このことからも、父の感じていた

罪悪感の大きさが分かります。

 

 

兄は、父の借金問題に巻き込まれたことが

あったのに、それでも父と一緒に住み、

父にお金の管理方法や、このままの使い方では

数年しか持たないという注意喚起を、

誰が見ても分かるように可視化して父に提案し、

家の中での父の行動の後始末をしたりと、

やれることは全部やったんだろうと思います。

 

 

そんな兄も、父と同居する限界を感じてたから

夏には家を出るつもりだったと。

 

兄が父と同居している以上、ヘルパーが

入れないのも限界要因だったようです。

 

 

5年前の私なら、

「だから最初に言ったじゃない!

 父と同居はするべきじゃないって!」

と、鼻息荒く言っていたと思います(^-^;

父と同居すると兄が言った時、

兄が母のようにならないかと不安で

「お気は確か?」と兄に何度か確認しましたが

兄の覚悟は変わらなかったので、

兄には兄のやりたいことがあるのかもしれない

と、兄の意思を尊重することにしたんです。

 

 

兄からの話を聞きながら、

本当に母が父を迎えに来てくれたのかも

しれないと感じました。

 

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弔問に来てくれた人たちは、

「お母さんが迎えに来たんやろう」と

言うことが多かったし、

母の月命日と父の月命日が同じなので、

余計にそう思えるのもありました。

 

 

私は、父の寂しさが限界に来たのかなとも

思っていました。

 

 

父が亡くなり、警察が来て、

何度も何度も同じことを聞かれるうちに

兄は、

「あれ?俺…ヤったんかな?」

と危うく思うほどだったことや、

一睡も出来なかったことなど、

私はうんうん頷きながら兄の話を聞き、

 

 

何度も考えていたことが、いざ現実に

なった時に、考えていたのとは違う

感情があるということを二人で共有しました。

 

 

「一緒やね。複雑やね。」

 

 

そして、父の様子を心配してくれる人が

居て、父のことを気にかけてくれる人が居て、

病院や行政へと繋げてくれていたこと。

 

 

「ありがたかった。」

 

 

そう言う兄に共感しながら、

兄が1人で悩むんじゃなくて相談できる

人たちが居てくれて本当に良かったと

思っていました。

だって私、兄に任せっぱなしでしたから。

 

 

父は、強烈な寂しがりやです。

昔から真っすぐ家に帰ることはなく、

ほとんど飲んでから帰ってきて、

また自分の店でもお酒を飲む。

 

寂しがりやだから人と繋がることや

人同士を繋げる才能はズバ抜けていたし、

寂しがりやだから寂しそうな人にも

声をかけて繋がりを持ったり、

純粋な人なので「想い」だけで動くことが多く、

そんな父の様子に魅了される人が多かったんですね。

各種団体に所属していたこともあり、

必要とされる機会も多かったと思います。

 

でもきっと、父は自分の弱い部分や

他人とは違う部分を受け容れられず、

借金を繰り返しては自分を責めてばかり居たんだろうし、

自分で自分を傷つけながら、生きていたんだろうと

今となっては思います。

そんな父を助けたい人たちが、

父と関わってくれていたんだと思います。

 

父を見ていたら、引き合う関係性というのが

本当に分かりやすい。

 

 

夜も更け、父の傍にあるお線香を

新しいのに取り替えて、

いつぶりか分からないくらい久しぶりに

兄と私で布団を並べます。

 

 

「俺、寝言もいびきもうるさいよ?」

 

 

そんなの私も一緒よと思いながら、

 

「あっちで寝てくれる?」

 

と、兄にお願いして

少し距離を取って寝ました。

 

 

続きます。